誰のため?自分のためでしょ

子どもを叱る時は、主語を自分にしたらいい、って言われます。
たとえば何か壊された時、壊しちゃってー!と怒るのではなくて、
あなたに壊されておかあさんは腹がたつ、というカンジで。
すると、子どもは自分を否定されているという感が少なくなるのだそうです。
壊した→否定された→ダメな自分、というのが大方の図式ですからね。
ダメな自分、と自分を責めること(罪悪感)は改善につながりにくいのです。

https://connectron.jp/20120827-1346026450/

あくまでフォーカスするのは自分の感情です。

さ、ここで、「あなたのためを思って怒っているのよ」的な発言も多いかと思われます。
親が子どもを叱る時の黄門様の印籠的なものですよね、「あなたのために」。
誰もおまえにそんなこと頼んでへんわ!と反旗をひるがえせる「悪い子」はいいんですよ。

でも。

ぼくのために怒ってくれてるんだ、と思っちゃう「いい子」は困りもんなんですよねー。
だって、自分を責めることに集中しちゃうもん。

壊されて腹が立つ、という考え方でいくと、怒るのは子どものためではなく、自分のためです。
自分のために怒っているのです。

誰のためにやっているか、ということのベクトルを変えてみませんか?
そのことの必然性の度合いが見えてきますよ。

これまた鉄板のケースですけど、「子どものために離婚しなかった」。
これねー、子どもの側からするとほんま迷惑なんですよね!!
ぼくのせいでオカアサン離婚できなかった、私のせいでずっと我慢させちゃった、となります。
ほぼ子どものためじゃないですよ、離婚することへの不安、一歩踏出せないことへの言い訳に子どもを使ってます。
私はひとりでやっていく自信がないから、私のために離婚しない、が正しい文章です。

自分がそれをしないことの言い訳に、また、それをしたいけど・欲しいけどおおっぴらに言えないからその言い逃れに
自分以外の誰かのために、って表現が使われることがすごい多いですよね。

目標になかなかたどり着けない方、そこにたどり着くことで得られるものは何か、というメタアウトカムを探っていきますが、
ほんとに欲しいものの姿が見えて来ることによって、誰かのために、の誰かが、実は自分だ、ってケースがよくあります。
人のために〜をしたい、と口では言ってますが、実はそのことによって自分が得られる何かのほうが真に大切だったりする。
手段と目的の違いです。目的の姿さえはっきりすれば、手段はほかにいくらでもあるのです。
たどりつけない目標は、手段であることが多いですねー。

困るご相談3本の指にはいるもの、「赤ちゃんできますか、妊娠できますか」なんですけど、
身体的に明らかなトラブルが無い場合は、赤ちゃんがやってくることのメリットとデメリットを天秤にかけ、
実はデメリットのほうが大きい、ってことが赤ちゃんを遠ざける要因になってたりします。

そして、なんのために赤ちゃんにやってきて欲しいのか。

産んであげたい、って仰る方の多いことよ!!
ま、子どもを産むのは女にしか出来ないことですから、子どもが欲しい、ってダンナさんに産んであげたいですよね。
「ダンナさんのために」産んであげたいですよね。
たしかにダンナさんは自分の子どもが欲しいと思っているかもしれません。

でも。

赤ちゃんを迎えることによって本当に満たされるものは、産むことが出来たことにまつわる
ご自身の様々な充足感・安心感ではないでしょうか。
とくに、実家や婚家からの圧力があれば尚更のこと(跡継ぎが必要とかね)。
また、おとうさんがいておかあさんがいて子どもがいて、というステレオタイプな家族の図式にこだわっている方、
こだわり=執着があるということは、そこにネガなものが入ってますから
そのネガを解消するためにやってくるというより、余計に遠ざけることにもなりがちです。

あなたの口から「誰かのために」というフレーズが出て来たなら、
その「誰か」を「自分」に言い替えてみてください。
すると欲しいと思ってるものが本当に必要なものなのかどうか、
必要であるなら得るための手段が他にもあるのではないか、ということが見えてきますよ、きっと。

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