痛いな、と感じさせる人がいます。
一緒にいたら、すんげー居心地悪い。
違和感。
イライラムズムズする。
あぁぁ、そうじゃないだろっっ、と叫びたくなる。
実際、叫んでしまうこともあります。
違う、違う、あなたってばそうじゃない!と。
この現象はかなり昔からあったのですが、その正体がわかったのはわりと最近のこと。
持って生まれたもの、周囲から「あなたってこんな人よね」と目されているもの、
自分で「私ってこんな人間だわ」と思っているもの、
この3つにギャップがないことが、一番自然かな、って思うんですよ。
ネット人格のように、わかってて演じているのはいいですけどね。
持って生まれたもの=命式にあらわれているものです。
ま、これは、ご自分のリソースに気付いていらっしゃらない方わりと多いです。
宝の持ち腐れ状態であることが多いです。
周囲からの評価、自分のことはわからないけど人のことはよくわかる、というように、
人からの評価って結構的確なことありますよね。
えー、私ってばそういうふうに思われてたの?とがっかり感を伴うこともありがちですが
、周囲からそう見られるってことは、そう思わせることをやってる、醸し出してるってことですよ。
で、私ってこんな人だわ、というイメージ、演じてることが多いですよね、無意識のうちに。
こうありたい、こうあらねば、ってのを。
自分本来のものではないものをやってしまってる人に対して、
「痛い」と感じるのだ、ということに気付きました。
がらっぱちなのに、癒し系やってる人とか。
ほんとは小心者なのに、無理につっぱってる人とか。
見え見えなんだよ。
おおむね、やってしまってるもので成果が得られてないですね、
だって誰しも痛い、って感じるんだもの。
やっぱ自分本来のキャラを把握しておくことって大切ですわ〜。
ではなぜ、痛い人をやってしまうのか。セルフイメージがゆがめられてしまうのか。
昨日・一昨日と郷先生のとこでリアライズトレーニングってのを受けてました。
せんだって牛係のことで泣きついた時、結局は私のビジョンって何よ?という話になり、
グズグズ言わずにトレーニング受けに来なさい、と呼ばれたのでありました。
ビリーフについての説明がありました。
1:本質
2:ウンコ
3:見せかけ
人は本来、ダイヤのような本質を持っています。
でも、ビリーフが形成されてダイヤが隠れてしまう。そのビリーフがウンコなんですよね。
なんでビリーフをウンコというかというと、ビリーフシステム:BSを、お茶目にbull shit と言った人がいて、
通訳さんがそれを「クソ」と直訳してしまったそう。
以来、ビリーフがクソと通称されてしまったらしいです。クソよりウンコがかわいいよね(激違。
あ、まったく余談を思いついてしまった。
「このクソ野郎」とかって言うじゃないですか。野郎ってのは男性への言葉で、
じゃあ女性にはなんていうのかというと、女郎(じょろう、ではなく、めろう、メロとも言う)です。
明治生まれの祖父が祖母を罵る時にいつも使ってました。
だから女子にはこの野郎って言っちゃダメなのよ、この女郎、って言わないと。
ウンコ(ビリーフ)によってダイヤ(本質)が見えなくなってしまいました。
でも、ウンコのままではイヤなので、見せかけの後付けダイヤを自分に貼付けるのです。
この後付けダイヤがいっぱいある人に、違和感、痛さを感じてしまうのです。
私の場合は痛さですが、郷先生は「イヤ感」と称されてました。
イヤ感、違和感、似てますね。
で、そのイヤ感が強ければ強いほど、ダイヤが大きいということなんだそう。
嫌いな人は100%自分のシャドーだと言いますが、嫌いとはちょっと違う違和感の場合は、
持ってるダイヤが大きすぎてウンコで隠しきれないことに由縁するようです。
悪い人じゃないんだけど、って言いたくなる人は、ウンコの中のダイヤが大きい人なのかもしれませんね。
ウンコ野郎 = でっかいダイヤ野郎 です。
そうか、ウンコって褒め言葉だったのだな。
ああ、ウンコ、ウンコって一生分くらい言ったような。