このコマ、ご覧ください。
パタリロでお馴染みの魔夜峰央さん、奥さんは半端なく別嬪さんなんですけど、
どうやらおかあさんも美人さんだったらしいですね。
で、それを言うと「マザコンめ」と揶揄されてしまうようなのです。
しかし上記のコマにあるように、美人だから美人、と言ってるだけなのに
なんでマザコンとされてしまうんでしょうね。
これには2つのテーマがあります(ああ、すでにまとめきれなくなる怖れが激大)。
その1:身内を褒めるもんではない
その2:発言とはジャッジだ
その1からいってみましょうか。
自分が子どもを産んで衝撃だったこと、
きょうびのオカアサンってなんて自分の子どもを褒めるんだ!!と。
なんの躊躇もなく、ウチの子かわいいオーラがまき散らされてオリますことよっ。
牛係が大切だ、かけがえのない、って感覚はもちろんありましたが、
そのかわいさゆえに破顔一発、って感覚はなかなかやってきませんでした。
無条件で「カワイイ」と思える感覚がやってきたのは、産んでからかなり後のこと。
こんなこと書くと小雪なみに顰蹙かしら。
そう、やっぱカワイイよりタイヘンのほうが大きかったんですよ。
ふと思いました、親バカって英語でなんていうんだ?
Google先生に訳してもらったら、Sutupid Parent です。
Stupid Parent を再度Google先生に訳してもらったら、愚かな親、です。
そりゃそうだ。
日本語の親バカのニュアンスを持つ言葉、英語にはないんじゃないのか?
それは、カワイイ我が子をカワイイというのは当たり前だからじゃないのか?
愛しい妻を愛しい、愛する夫を愛している、というのは当たり前だからじゃないのか?
子ども時代に親からわかりやすい愛情表現を貰えてなかったってことが
穴ぼこになってらっしゃる方もこれまた多いです。
愚妻とか愚息とか豚児とか、やっぱ英語圏の人は驚くらしいですね。
なんで大切な家族をわざわざそう貶めるんだ、と。
自分をおとして相手をあげる、って文化は日本人の骨の髄までしみ込んでいるようです。
では、その2です。
ウチの母親は美人だ。
これって、単なる事実の描写です。
いや、たしかに、美人かどうかって個人の美意識によるものだから、
おまえのかあちゃん美人なんかじゃねえよ!って思う人もいるかもしれません。
ならば尚更のこと、自分が美人だと思っているなら、
ウチの母親は美人だ、ってのは単に自分の感じたことを述べただけです。
空は青い、雲は白い、と同じレベルの話です。
自分の母親を美人ということ=マザコンだ、というのは他者の価値観です。
人から言われたから、親を美人と認めるということはマザコンなのか、
と刷り込まれてしまうわけです。
私の母は美人だ、と人前で言えなくなってしまうのです。
思ったことを口に出せなくなるのです。
これが、言いたいことが言えなくなるの図式ですよ。
では、それを言った人はなぜそう思うようになってしまったのか。
ま、穿った見方をするならば、この方のおかあさんは美人ではないのでしょう。
もしくは、この方のお父さんはキレイな妻を自慢することはなかったのでしょう。
いいと思ったものを素直にいいと口にする文化がこの家にはなかったのでしょう。
人の間違いをなかなか指摘できない、キライなものをキライと言えない、
という方もたいへん多いです。
なぜ出来ないのか。
それによって相手を否定してしまうのではないか、と危惧されてますよね。
間違いは指摘しないと改善できません、また同じことやらかす怖れがあります。
キライなものを好きと勘違いされたら、それこそ困りもんですよね!
だからこそ、私はキライなものをキライと言うことに情熱を傾けているのですよっ(違。
間違ってるじゃん → あんた、ダメじゃん
キライなの → 好きになれないからダメなの
ダメ、というジャッジが込められてしまうと口に出し難くなりますね。
なぜジャッジが込められてると思ってしまうのか。
それはもう、あなたがジャッジされてしまったという痛みを持っているからです。
誰かがあなたをジャッジした、できないからダメ、間違ったからダメ、とジャッジしたのです。
言われてイヤだったことが言えないようになると、
悲しいことに嬉しくて言いたいことも言えなくなっちゃうんですよね。
これが喉につまった栓の困った作用です。
いやー、困ったな、当初のテーマとしては
もっと親バカしよう、妻バカしよう、夫バカしよう、だったんですが。
ほんとにそうなんですけどね。できないんだったら仮面夫婦検定1級認定しちゃいますよ。