子どもが言うことを聞かなくて叱ってしまう
子どもが思う通りにならなくてイライラする
なんでこんなことも出来ないの、と思っちゃう
何度いったらわかるの、とイヤんなっちゃう
子育ての悩みは尽きませんねー。上手な子育て的なマニュアルが氾濫したら、それと同じように出来ないことにまた凹んじゃいますよね。
今日の朝イチのお客さまがですね、もうたいへんでしてね(ご予約いただいたということはブログを読んでくださってるはずなんですけど、あまり読んでくださってないのかな、と感じました。この記事も読んでいただけるかどうかわかりませんが。読んでくださってるなら、しつこいけど、ほんとたいへんな状態でしたよ、重篤であるという自覚ほんと持って下さいね)、そらーものすごいおかあさんからの刷り込み。親ってすごいな、こうも子どもを自分の思いのままにできるんだな、と怖かったですよ。おかあさんの価値観以外のものがないのです。おかあさんが決めたこと、おかあさんが勧めるもの、それが全てなんです。そして当然のように、おかあさんの思ったような娘でいられないことに猛烈な罪悪感がありました。
おかあさんからしたら、自分の意のままのいい子でしょう。娘さんからしても、自分を主張するということがないのでおかあさんとぶつかることがなく、うちはうまく行っていた、素晴らしいおかあさんだ、それにひきかえ、とずっと自分を責めていらっしゃいました。
そしておかあさんに褒めてもらうために、認めてもらうために、ご自身の本来の資質とはまったくベクトルの異なるものを目指していらっしゃいました。それは当然成果につながりません。そしてダメな自分という思いをさらに強く上書きしてしまっているのです。たとえそのベクトルが資質にあったものだとしても、褒められることを目的に進まれているので望んだものが得られません、正しいことを間違った動機でやる、ということはこういうことです。
で、思ったのです、子どもが言うことを聞かない、ってつまり、子どもの思いを出させてあげてる、ってことですよ。子どもが「どうせ自分の思いを出してもダメなんだ」と「まだ」あきらめていない、ってことですよ。あきらめちゃったら終わりですよ。言いたいことが言えない子、やりたいことがわからない子になっちゃいますよ。
でも、言うこと聞いてもらわないといけないこともありますよね。自分のワガママ勝手ばかりじゃダメで、ちゃんと世間のルールをわかっておいてもらわなきゃいけない、ってとこもありますよね。
ラーメン食べるために手にとった本にまたまた気付かされました。
駒場くんちのバースは牛を引き取りにきた業者さんに吠えてます。侵入者ですから番犬の役目を果たさないといけません。でも駒場くんからしたら、大切なお客さんに吠えられるのは困るのです、バースに「こら!」と叱ります。でも、バースはちっとも悪いことしてないのです。バースはなんで自分が怒られなきゃいけないの?と思います。そして、怒られる自分はダメなんだ、と思っちゃいます。業者さんはちゃんとわかってくれてます、いい番犬だ、と。業者さんがそう言ってくれてることがわかれば、バースは安心できることでしょう。
お客さんに吠えられることは困るから叱ってしまうのは仕方ないですが、バースの気持ちはわかってあげて欲しいですよね。
わかろうとする気持ちを持ち続けることが必要なんじゃないですかね。
たとえわからなくても。
折り合いをつけること、従わなくてはいけないことをわかってもらうためには、そのためにはまず、わかろうとする気持ちを持つことが大切なんじゃないでしょうか。わかろうとしてくれてる、というおかあさんの気持ちはきっと子どもに安心と信頼を与えてくれることでしょう。
一方的に大人のルールを押し付けることが必要な時もあるでしょう、だからといって一方的に子どもの思いを抑えつけていては自分を出すということをあきらめさせてしまいかねません。
子どもが大人の理屈を納得できるまで、その時期がどれだけあるか個人差はあるでしょうけど、その期間中は世間体とか「ねばならない」ってとこにおかあさんが耐える必要があるかもしれませんね。ちゃんと躾できてないダメ母だわ、とかね。
だっておかあさんが耐えられなくて辛いのって、自分がそうされたからですよ。私は我慢したのに、私は親の言う事をきくいい子でいたのに、ってのがあるからですよ。
出したい自分を出せなかったちっちゃいちゃんにヨシヨシしてあげてください。そうすれば、いうことを聞いてくれないことへの苛立や叱ってしまうことへの罪悪感からは(ちょっとでも)自由になれることでしょう。
ヨシヨシ。
おかあさんに甘えたかったよね。