穴は埋めるべし、ちっちゃいちゃんはヨシヨシすべし!と思ってやらせていただいてますが、傷に触れることすら出来ない方がいらっしゃいますね。うっかり触ってしまったらゴメン。でも触ったからには風に触れても大丈夫になるまでヨシヨシするよ。
幸田が両親をなくした零を引き取ったのは将棋を仕込むためでした。幸田には実の子が2人いたけど、その2人も当然のように将棋を仕込まれていました。そして零は幸田の恩に報いるために将棋を頑張りました。それが裏目にでました。
零は幸田の2人の子を追い越してしまったのです。幸田の目は実子から零のほうに向けられてしまいました。将棋ができない自分は父にとって価値がないのだ、と幸田家の2人の子どもは人生をあきらめてしまったのです。
いくら水を注いでも決して満たされる事のないもの、それが「穴ぼこ」です。香子は何をなくしてしまったがために穴ぼこを作ってしまったのか。父親に認めてもらえること、ですよね。
将棋ができないからと自分から目をそらした父を香子は許すことができません。できなくて当然です。だって香子の穴ぼこはまだ埋まっていないのですから。傷口はぜんぜん癒えていないのですから。
幸田の失敗は、自分に向きあわせるための手段として将棋を子どもに与えたくせに、勝手にそれを取り上げてしまったこと。父から認めてもらうための手段を奪われてしまった子どもたちは、他にも手段はあるのだ、っつか、父親に向きあってもらえることだけを自分の価値としなくていいのだ、ということが頭ではわかっても気持ちが納得しません。
だっておとうさんは将棋しかないんだから
幸田家の子ども達は父親にとって最も大切なものが将棋であり、自分たちは二の次なのだ、ということがわかっていたのでしょう。
そして零、零こそ将棋を自分の穴ぼこを埋めるために使っています。零にとっても将棋は父親とつながるためのツールだった。そして父が逝ったあとは幸田に引き取ってもらうための手段だった。将棋とはつねに零に穴ぼこの存在を見せつけるものであったことでしょう。
同じような図式の方、たくさんいらっしゃいますね。親に振り向いてもらうために一生懸命に何かをやっていた。それをしないと振り向いてもらえないと思っていた。やれているうちは振り向いてもらえてた、褒めて貰えてた。でも、それが出来なくなった。親は失望感を隠す事もなく、ほかのこと頑張ればいいよ、とかうわべでは言います。
でもそれは子どもの、できなくなった私はダメなんだ、おとうさんにとって私の存在はもう意味のないものなんだ、という絶望を救うだけのものではありません。だって親は子どもの絶望には気づいていないから。
そうも、そうも、子どもは親の気をひくことに一生懸命なのです、そしてそれが果たされなかったときに全力で自分の存在を否定するのです。
香子が怒っていて当然です、香子は幸田を許す必要ありません。自分の傷が癒えるまでは。いかに自分は父を求めていたのか、受け入れてもらえなくて辛かったのか、という気持ちを出し切るまでは。
あー、香子よ、ウチ来い、ウチに。いっぱいヨシヨシしちゃるから。
親の期待に応えることだけに幼い時間を費やしてこられた方はいらっしゃいませんか?親が望む子ども、という着ぐるみをまだ着ていらっしゃいますよ。その着ぐるみを脱げたなら、本当の自分の力を発揮してそれにふさわしい本当の成果を得ることができるのです。
親を許そうとして許せなくて自分を責めていらっしゃる方。許さなくていいんです。
許せなくて辛いよね。
ヨシヨシ。