こちら↓の記事を読まれた方から感想を頂戴しました。
なんかわかったカンジを感じました
それそれ、まさにそんなカンジなんですよ。言葉に出来ないんですよね。
なんだお前、いつもスピはボキャ貧だとか言いやがってお前こそがボキャ貧じゃねえか!とおっしゃるそこのあなた、確かにそうです、姿形のないものを言葉にするって難しいですよねー、ボキャ貧ボキャ貧って言っててスイマセン、スイマセン。
が、「感情を言語化することの重要性」エヴァンジェリストの私としましては、ここで負けてはいられませんっ。どうしたらその「カンジ」が伝わるかを考えました。
グラスの中に水が入っています。
水ですよ、水。日本酒じゃないですよっ。
この状態では、手は水を感じることは出来ていません。グラス越しです。あるのはわかるけど、触れることはできません。
グラスを溢れさせました。
水はグラスから溢れてグラスを持っている手に流れて伝わってきました(赤ワインだったらわかりやすいんだろうけど、ワインを溢れさせるなんてもったいなくて出来なかったから!)。
手は水を感じることが出来ています。
スポンジでもいいです。
このスポンジ、水を含んでいるんですけど軽く持った状態では手に水は触れていません。
ギュっと握ります。
スポンジは絞られて水が滴ってきました(赤ワインだったらry。
手は水を感じることが出来ています。スポンジの中に潜んでいた水は手に触れています。
ヨシヨシを続けていて「腑に落ちる」とは、手に水が触れた状態です。
もいっこ例え。
容れ物にモノをいれます。
入れた量が少ないので、モノは容れ物には触れていません。
もっといっぱい入れます。
投入されたものは容器に触れています。ちょっとの量では触れることは出来ませんでした。
量を費やすこと、継続によって積み重ねられたもの、一定量を越えることによって達することができる地点、飽和状態、投入したヨシヨシが気持ちに触れた時、それが「腑に落ちる」です。
触ったカンジ、気づいたもの、人によって異なることでしょう。
そうだったのか
そうだったのね
そうだったのよ
ヨシヨシ
愛しい私
辛かったよね
寂しかったよね
フタをされていた穴ぼこには何も入っていません。その穴ぼこに気持ちを寄り添わせることによって穴ぼこは満たされていきます。カラカラに乾いていた穴ぼこに潤いが満ちてきた時、感じれた時、それが「腑に落ちる」です。
言語化するとか言いながら、画像に逃げてしまってスイマセン、スイマセン。