8)氣鍼医術のサイトを作っているワケ

続きをさっさと書け!というご意見を山のように(ウソ、ほんとはおひとりだけ)頂戴しましたので、せっせと書くことにします。

数回目の大改造を終えた 脉診流「氣鍼医術」 のサイトを私はニマニマしながら眺めていたのです。

めっちゃ頑張ったー!!

よくここまで作ったよなー、と。

ね、頑張ったでしょ、私

褒めて、褒めて

と、上記のセリフを脳内で誰に向けて発していたかというと Jimdoさんなのです。

院長ではないのです。

その時の私の頭の中はこんなんでした。
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自分でも、これはおかしい、と思いました。

みなさんご存知のように(知らんか)私は会社員時代、重篤な評価されたい病患者でした。

上司から評価されることだけを生きがいに仕事していたといっても過言ではありません。

ま、それに気づいたのは会社員を辞めてからですけど。

今の仕事を始めてからどうにもやる気が起きないのは、かつての上司にあたる存在がないからだろうな、と。お客様からの感謝や評価ではダメなのです、上司なのです。だったら占いハウスとか組織に入ればよかったのかもしれませんが、それは子育てと両立できなかったと思います。

うん、家でやらざるを得なくなったのは子育てのためです、今更ながら思い出した。

上司的な存在からの承認を得たいのであれば、院長でもいいではないですか。なぜ院長ではダメでJimdoさんなのか。考えました。

サイトいじるのってめんどくさくないですか?私は死ぬほどめんどくさいです。だから自分のサイトもずっと放置状態だったのです。

文字の大きさやら色やら余白やらチマチマと変えて、そのたび確認のために表示して、って作業が延々と続くのはまるで賽の河原に石を積むようですよっ。院長はそのめんどくさをご存知ではありません。Jimdoさんは当然知っています。

めんどくさを知らない人から「たいへんだったでしょ」と言われるより、作業の内容を知ってる人から「これ、ほんっっとに大変でしたよね!!」と言われるほうが沁みるじゃないですか。その違いかな?と思ったのですよ。

いや、まだ違う。

作業内容がわかっているかどうかの違いは、発言にも現れます。Jimdoさんは「頑張りましたね!」です。院長からは「頑張ったね」はないのです。頑張ったね、というセリフは何をどう頑張ったかがわかっていないと発せられないものなのだ、ということが今書いててよーくわかりました。

だから、わかってない人から「頑張れ」と檄を飛ばされるのって癇に触るのですよ。

震災の際に「頑張れ」と言葉をかけられた人が、「これ以上どう頑張れと?」となったというエピソードがありましたが、頑張れ、という言葉をかけるのって難しいですよね。

それと同じように(同じなのか?)「頑張ったね」という言葉も、頑張り度合を共有できてない関係ではありえない言葉なのではないか、とやっぱ今かいてて思いました。

ね、書くって気づきのために大切でしょ。

どうやら褒められているかどうかではなくて、頑張りを認められているかどうか、ってとこがポイントのようです。

続く

最後までお読みくださりありがとうございました✨
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