不安はなくなりませんよ?

みなさんご存じのように(知らんか)見たくないものに蓋をすると、見なくてはいけないものにも蓋がなされてしまいます。見たくないものにだけ蓋するってできないのです。

見たくないものに蓋をしてしまった人の末路、ベテラン読者さまならおわかりですよね。

え?わからない??

なんてこと、授業中寝てましたね!!補講です、追試です!!!!

見たくないものに蓋をしてしまった人の末路、それは「何がしたいかわからない病」です。

何度も使っている例えですが、熱いお湯に手を突っ込んで、熱い!と感じられなかったら熱湯から手を引っこ抜くことにつながらないんですよ。熱湯に手を突っ込みっぱなしで、大やけどとなってしまうのですよ。

自分の身を守るためにこそ、不快さを感じさせるものこそ、きちんと感じる力は必要なのですよ。

熱湯に手を突っ込んだら熱いと思って当然です。熱いと思ってはいけない、という気持ちがあるなら、それこそが問題です。

あなたに「熱いと思ってはいけない」をインプットしたのは誰でしょうか。

さて、本日のテキストです。


朝日新聞「オトナになった女子たちへ/益田ミリ

空しさはなんのためにあるのだ?嬉しさや悲しさと同じように、それは人に備わっている。必要だから搭載されているに違いなく、ならば、今夜の空しさも仕方のないことだった。

もう空しくなかった。消えたのではなく、胸の奥の箱にしまわれただけ。またふいに顔を出すはずである。

あなたの空しいも悲しいも怒りも恐れも不安も、全部必要なもの。

不安を口にされる方が多いですが、不安がなくなることなんてないですよ。

目の前の不安のひとつ、それは原因がわかって対処ができれば霧消します。いったんは不安とは距離を置けるでしょう。

それは、原因に向き合って対策を講じるというアクションを起こせたから。

自信というのは、何かをやればこんな結果になる、という単なる因果です。これをすればこんな結果だ、と身を以てわかっていることが自信がある、という状態です。

だから、自分ができるとわかっていることに対しては、できるって自信がある、と言えるのです。

不安はそれの対極。因果がわからないから不安なのです。

何に起因する不安なのか、その時間軸は過去。

未来は誰にもわかりません。未来に対して不安を持つのは当たり前のことです。未知の未来に対して、自分の手持ちの過去の経験値を当てはめていくのです、羅針盤として。

おばちゃんが厚かましいのは、こんだけ言っても大丈夫だろ、と経験値でわかっているからだそうですよ。

不安があって当たり前のことなら、問題なのは不安があったらあかん、と思っていること。不安もなく「やったるで!」の状態でだけいなくてはいけない、と思っていること。

思わされてしまっていること。

喜怒哀楽、どれも必要な感情です。怒らないようにしよう、悲しまないようにしよう、なんてしてしまったら、喜びも楽しさも感じられなくなってしまいます。

大切なのは、その感情の根拠が何かをきちんと把握すること。いわば、気持ちの種。

種の正体が明らかになれば、湧き出る感情に右往左往することはなくなるでしょう。

ネガな感情の存在も許せるようになることでしょう。

そして、もっと喜べるように、もっと楽しめるようになることでしょう。

ブログアップした直後にこれ見つけた!

ばっく。9/27ベッド椅子 on Twitter: "50過ぎたってイライラするよ。不安だよ、何にも変わんねえよ。ロック聴いてるから少年のままかもな。… "
なんてタイムリー!!

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