過去記事再掲 初出:20170106
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こちら↓の続き
ビジュアルスクワッシュによって統合したライトグリーンの「カエルちゃん」が来てくれたらどうなれるか、活動の場を広げることができる。
では、活動の場を広げられない、と思ったらどうなるか。
活動の場を広げていくということは、自分をどんどんと出していく、ということ。
自分を出す = 言いたいことを言う
思ったことをはっきりとズケズケというと誰かを傷つけてしまうことになる。
傷つけてしまうかも、とAさんの口を閉ざさせてしまっていたのはおかあさまでした。はい、その3で痛恨のミスだった、と記しましたとおり、やはり突っ込みどころはおかあさまだったのです。
なぜおかあさまなのか。
言葉を失ってしまう重い出来事がありました。言いたくない、と口を閉ざされても無理のないこと、よくぞその事について語ってくださいました。その出来事によるおかあさまのダメージがわかっていたからこそ、Aさんにとっておかあさまは壊れ物、傷つけないように気を使わなくてはならない存在となってしまっていたのです。
本来なら親からこそ気遣いを与えられなくてはならないはずの子供が、己の気持ちは抑えて親を慮ることが当たり前になってしまっていたのです。
08:ターゲットとする感情の見極め
言葉がきついとか、暴力をふるわれるとか、相手から与えられるものの防御として、ではなく、相手を傷つけないように自らをセーブする、これは何かに反応してのことではないですから、防御としてのセーブよりさらに強力なものであったと思われます。
おかあさんを傷つけてしまうと思うと怖い、とおっしゃいました。この「怖い」をターゲットとしてトランスに入っていただきました。
09:パートの場所、10:トランス
怖い、という感情はAさんのみぞおちにありました。黒くて、冷たくて、重いくて堅いもの。
11:タイムライン〜過去から未来へ
姿を現したのは3歳ちゃん、おかあさんに抱っこされています。ふざけて大豆を鼻の穴に入れてしまい、それが取れなくなっていました。おかあさんに「アホやなあ」と言って大豆をとってもらえたら安心できる。安心は黄色でした。
その黄色の安心をもって現在まで進んでいただいたら、紫のcalm(静けさ)が手に入りました。そのcalmを携えてさらに未来に進んでいただいたなら、72歳にたどりつきました。
仕事をしている72歳のAさん、おだやかな光景です、それは見ていて好ましいもので、なおかつ必要なものです。
12:タイムライン〜未来から過去へ
必要なものを手にした72歳から現在のAさんには、「迷わず進め」との言葉が。Aさんは「進みます」と答えられました。
そのAさんから3歳ちゃんには「安心していいよ」と。言葉が出てこなくても安心していいよ、と。
では、3歳ちゃんは何を安心できなかったのか、何に言葉を発することができなかったのか。
両親の間の不穏な空気、と答えられました。一触即発というものではなかったようですが、かろうじて保たれているバランスを崩さないように、とちっちゃいAちゃんはずーっと気を使っていたようです。
おかあさまを傷つけた出来事、それはおかあさまを愛していたおとうさまをも傷つけていました。おかあさまを愛するがゆえに、おとうさまは傷つきました。
傷つきあったもの同士、本来なら寄り添っていくべきなのに、互いの傷に触れぬようにしたがためにご両親の間には溝ができてしまったようです。寄り添い続けるために伸ばした手、それを拒まれた時におかあさまの心は壊れました。
他者から受けた傷よりも、愛する夫から拒まれたことのほうがおかあさまにとっては深い傷となったのです。
13:ヨシヨシ
愛し合っていた二人が、ともに相手を傷つけた、という罪悪感を抱いてしまいました。傷つけてしまった、もうこれ以上傷つけてはいけない、罪悪感と相手を思う気持ち、この2つが愛し合うはずの夫婦を引き裂いてしまったのです。
キリスト教でいうところの原罪のようなもの、それがあるとするならば、人、子供が最初に持つ罪悪感とは親の問題をどうにかできないことに対してです。子供にとっての生殺与奪を握っている親、子供にとって親はすべてです。その親が困っているのに自分はどうにもできない。
親を助けることができない無力な私、から一足飛びに、親が困っているのは自分のせい、となってしまうのは不思議なものですね。
14:宝物との再会
無力な自分を責めるのではなくて、そうも親のことが心配だった、そうも親を思っていたいじらしい自分、とちっちゃいちゃんに寄り添うことこそが必要なのです。
さ、セッションはひととおり進めることができましたが、お気持ちがなかなか出てこない。頭ではわかっていただけたようです、いかに自分が壊れた母をそれ以上傷つけないように気をつかっていたか、そして父もまた傷ついていたということに黙って見ているしかなかった無力な自分がいじらしい存在であったのか。
もう言葉は発してもいいのです。やりたいことを大々的にアピールしてもいいのです。それが出来なかった原因となるものは見つかったのですから。
15:ビリーフ焼却
最後にお尋ねしました、「まだなんかひっかかることないですか?」と。すると、一瞬の間があきました。私は気にならなかったのですが、「ほら、こんな風に言葉に詰まるのですよ」と気にされています。
言いたいことを言ってはいけない、というブロックがまだあるようです。言いたいこととは、言うべきこととは、言えないこととは、ご自身の wants や needs でした。では、それを言ってはいけないと思わせてしまったのは誰か。
おとうさまでした。「父はもってまわった言い方をした。プライドが高かった。」と。欲しいものを欲しい、頂戴、ということはおとうさまのプライドに抵触することだったのですね。
プライドを重んじるあまり本音を出せないおとうさまのことを思うと「腹が立つ」とおっしゃいました。初めて出てきた強い感情ですね!!
ええかっこしい!!
はっきり言わずに、ほんまにもー!!
この怒りを燃やしていただきました。
後日、おとうさまがいかに家族のことを思っていたか、ということに気づくことができた、とのご感想を頂戴しました。おとうさまは自分がやりたいことよりも家族のほうを選んだ方でした。Aさんも、自分が自由にはばたくことよりも家族、家を選んでいらっしゃるのが現状です。それがやりたいことを本当にやりたいようにやる、ということに距離をとらせてしまっていました。
家族がみんな傷ついていて、そして傷ついた相手を気遣っていた、自分は二の次にして。おとうさまのためにもおかあさまのためにも、Aさんが心置きなく羽ばたく時ですよね。
私がやりたいことはこれだ!と声を大にして。
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