今日はご予約もなくて時間があるので、ネタの出し切りチャレンジデー(何、それ)として頭に浮かんだネタをいつかブログに書こうって放置っするんじゃなくて、出し切ってしまうこととします。
ネタの出し切り その3
ネタ帳に書いたきり、温めていたものです。
1:愚痴るお母さん
2:かわいそうなお母さん
3:男でよかった
4:セッションはマンツーマンのみ
5:実は戦友だった
6:では、どうするか
1:愚痴るお母さん
こちらのタマコさん
お仕事のご相談で来られました。
あまり人のことは言えないのですが、タマコさん、お母さまへのお気持ちがなかなか変わらないのですよ。
え?私ですか?
母と話さなくてはいけないと思うと、またdisられるのか、とか、また天才ジョイキラーに水を差されるのか、とウンザリするのです。過去のdisられたり水を差されたりした穴ぼこがまだ埋まっていないということです。
もちろんいい思い出もあるんですよ。でもそれでは帳消しにならないのです。
お仕事などの悩みを整理させていただいて、よっしゃ、やるぞ!となっても、おかあさんの陰がよぎって気持ちが萎えるのです。進む気持ちに水を差されるのです。
今回も主訴のお仕事の問題に方向性が見えた後、お母さまの話となりました。
お母さまがタマコさんの部屋にわざわざ愚痴りに来られるのだそうです。
ガシャ(ノックもなしにいきなりドアを開ける
お母さん、何度いうたらわかんの、ノックしてからドア開けてよ!!
タマコ、またお父さんにこんなん言われたわ!!
と、延々と愚痴が続くのだそうです。お母さまの愚痴を聞くのがしんどい。
2:かわいそうなお母さん
タマコさんのお父様は、父でも夫でもなく、○○家の長男でしかありませんでした。
そして今回初めてお聞きしたこと、お母さまにひどい扱いをしたのはお父さまのみならず、お父さまの姉妹さん(タマコさんの叔母伯母さん)たちもなのです。
それも現在進行形で。
タマコさんにはこの叔母伯母さんたちからインプットされたビリーフが根強くあります。お父さんじゃなくて伯母叔母さんってのがまたややこしいですよね。
お父さまと叔母伯母さま、そして伯母叔母さまの子供(つまり、タマコさんの従姉妹)たちからのお母さまへの仕打ち、それをうかがって思わず、「お母さん、かわいそう!」と言ってしまいました。
パートナーであるお父さまはお母さまの味方ではありません、お母さまが受けた仕打ちを愚痴れるのはタマコさんしかいないのです。
3:男でよかった
↓こちらにもあるように
お母さまはタマコさんを羨ましがるのです。お母さまはタマコさんが持っているものを自分が持っていないという自覚がありますし、それを引け目に思っていらっしゃいます。
お母さまの引け目については書いたつもりだったのですが、それに触れた過去記事がどうにも見つけられないので再度書きます。
お母さんがいつものようにドアをノック無しで開けてやってきました。
あんな、タマコ、お母さんな、ほんまは男やったんやて
占いで見てもろうたらな、お母さん女やのうて男なんやて
納得したわー、だからお母さん料理も下手やし
裁縫も下手やし、タマコみたいにキレイにでけへんのやわ
男やもん、しゃーないわな
私はこれをうかがって「お母さん、かわいそう!」となってしまいました。
お母さまは料理や裁縫や美しいものに触れること、自分を飾ること、そういったものと触れる余裕がなかったのです。
そしてそれが無いことを引け目に思っていらっしゃったのです。
占いでほんとは男だった、と言われたことは、女性的とされるものを自分が持っていないことのいいエクスキューズとなったのです。
そんなことで救われるなんて、お母さんかわいそう!!
4:セッションはマンツーマンのみ
私が過剰に反応しすぎですかね、でもお母さんかわいそうですやんね。
タマコさんは私が反応するようにお母さんかわいそう、とならないのですよ。
これは正しいのですよ。
だってお母さんかわいそうに走ってしまったら、それで自分を殺すことになりますからね。
お母さんこんなにかわいそうなんだから、ちょっとは我慢しなさい、なんて私ももちろん言いませんよ。
タマコさんがトマトご飯を食べさせられたこと、愚痴ばかり聞かされること、それはそれでタマコさんのお悩みです。
お母さんの”せい”です。
しかしタマコさんを切り離してお母さんひとりに目を向けると、お母さんも十二分にヨシヨシ案件なのです。
もしもお二人一緒に話を聞くとなると、双方が相手への不満を訴えることとなり収集がつかなくなります。
なのでお一人ずつお話をうかがうことが必要なのです。
タマコさんがお母さんのかわいそう部分に目を向けないのはそれはそれで正しいのです。
しかし、その代わりにお母さんのやらかすことによるストレスが強化されてしまっています。
お母さまが苦労していることはわかっているのに、なぜタマコさんはそこに気持ちが向かないのか。
5:実は戦友だった
タマコさんにお尋ねしました、お母さんと一緒に苦労したことはありませんか、と。
ありました、ありました、一緒にご家族の介護をされていた時がありました、ほんま大変でしたわ、と。
実家ばかり大切にするお父さま、それに乗じている伯母叔母従姉妹チーム、この敵と闘ういわばタマコさんとお母さまは戦友なのですよ。
なぜ共闘することができないのか。
ここからは私の推測です。
お母さまが敵から虐げらているという事実、それは認めていらっしゃいます。ご自身も然り。
そのような扱いをされているという状態は、惨めですやんね。
惨めという気持ちが一番認めがたいものです。
自分がそんな惨めだなんて。
お母さまがそんな惨めな存在だなんて。
お母さまが「お父さんや叔母伯母チームからこんなんされた!」と愚痴られたら、「ほんまや、私もいつもそうやわ、かなわんな!」と共闘できないのは、それをしてしまったらぞんざいに扱われるしかない私たち、というのを認めるしかないからです。
ぞんざいに扱われているのは事実です、しかしその事実と感情を切り離していらっしゃるように私は感じます。
お母さまはタマコさんに愚痴ることができる、でもタマコさんは愚痴ることができません。タマコさんの思いは溜め込まれる一方です。それがまたしんどさに拍車をかけるのではないかと。
6:では、どうするか
お母さんの裏にはお父さんがいて、そしてお父さんの裏には伯母叔母チームがいました。実は一番の目の上のタンコブは伯母叔母チームでした。
伯母叔母チームのいうことを聞かなくてはいけないというビリーフからの脱却がこれからの最優先事項ですね。
ああ、かわいそうなお母さんの物語、どうしてこんな程度にしか書けないのか。己の筆の力の無さが悔しいにも程がある。