相談文全文はこちら
https://www.yomiuri.co.jp/jinsei/20210816-OYT8T50090/
・60代無職男性
・昨年母が急性心不全で亡くなる、90代だったので大往生といえる
・母はコロナ患者ではなかったが救急搬送されると家族は院内に入ることができなかった
・母の最期にはしっかり寄り添い感謝の気持ちを伝えると決めていたのでそれが果たせず悔しい
・コロナさえなければとの思いが日々強くなる
・コロナは天災だから諦めるしかない、骨は拾えたのでよしとしろ、と言われるが納得できない
・コロナを蔓延させた国に腹が立つ
・どうしたら安らかになれるか
何を言われても気休め、大切な人を失った痛みが軽減されるわけもなく、その気休めを受け取れないことでもまた要らぬ感情が沸き起こってしまいかねません。
お母さまの最期のことまで心算をされていた、心配な時間も長かったことでしょう、痛みも増したことでしょう。
ここはサイコロさんのメッセージに頼りましょう、コロリン。
冥予/成有渝/无咎
現実から目を背けて心地よさに溺れてしまいそう、気持ちを入れ替えること
大切なお母さまとの別れと、コロナやコロナを蔓延させた国への怒りは別物。怒りの方にばかり目を向けていると悲しみがなおざりにされてしまっています。
怒るというのはある意味楽なのです。悲しみに浸るよりも。
そして、思い通りの見送りをできなかったということも、失った悲しみとはまた別の事柄です。
相談者さんがまず向き合うべきは、大切な人を失ったという悲しみ。
悲しみきった後には、いかに素晴らしい時間をお母さまと共有できたかという喜びが相談者さんを満たしてくれることでしょう。
回答です。
そうなんですよねー、「そう考えましょうよ」って言えたら楽なんですよ。言い聞かせって、どうにかしなきゃ、ってこっち側のいわばエゴですから、使用には注意が必要です。
滝詣連続370日目(2021/08/17現在)
4時ぐらいから仕込みしてるオサレなパン屋さん(ブランジェリーというのか)。結構お高いので私には縁がない。どういう層がどういうシーンでここのパンを利用するのか、想像つかない。