↓これの続き
2)自立できないダメ娘?
テーマとなった「繋がりたい人と繋がる」、そのための手段としてひとつ提案をしました。早速と実行に移されたのですが。
が。
種をまいた次の日に「芽が出ない〜」と嘆いていらっしゃるような状態だったのです。
芽が出るには時間がかかるよ、ということをお伝えしていなかったのもいけなかったですが、諦めるの早すぎるやろ!
これはなぜか。
ご自分で種をまいて育てた経験がないからです。世話をしてやらないといけないということをご存知なかったのです。
では誰が世話をしていたのか。
お母さま。
いわばお母さまは、咲いた花だけをゆかりさんに与えるということをし続けて来られました。
尚且つ、どんな花が好きか、とゆかりさんに尋ねることもせず。
ゆかりさんに拒否権はないのです。
お母さまがゆかりさんに与えたいと思った花を与える、そこにゆかりさんの意思はないのです。
ゆかりさんが繋がりたい人と繋がれなかったのは
1:どんな人と繋がればいいのかわからかなった
2:どうやって繋がればいいのか知らなかった
どちらもお母さまがフォアグラガチョウに餌をやるように(失礼)ゆかりさんに相対してきた結果です。
ゆかりさんには自覚がありました、お母さんの”せい”で自分で決められなくなったという。
しかしゆかりさんには、たぎる”好き”があるのですよ、これはお母さまとは関係なくご自分の美意識が掬い出したものです。
それをアウトプットできない、というところで長く止まっていらっしゃいました。
お母さんのせいで決められない、ということはないのです。自分の”好き”をちゃんと選んでいらっしゃるのです。
では、何が問題なのか。
社会人になったばかりの頃、手術をしてしばらく入院されたそうです。
お母さま、それは足繁くお見舞いに来られました。来なくていい、と言っても。
それを見た看護婦さん、ゆかりさんは幸せねえ、お母さんにあんなにしてもらえて。でも、頼りすぎなんじゃない?自立しなきゃいけないんじゃないの?との非難があったそうなのですよ。
ゆかりさん、自立できなダメ娘だ、と自分を責め続けていらっしゃいます。
ちょ、ちょっと待ったぁ〜!!
お母さんが勝手に来るんでしょ?来なくていいと言っても来るんでしょ?
イヤだと言ったら、お母さんがこんなにしてあげてるのに、って拒むゆかりさんを責めるんでしょ?
だからゆかりさんは、自分の思いを発することがダメなことなんだ、人を傷つけちゃうんだ、って思っちゃったんでしょ?
整理しますよ。
お母さんが看病にくる
↓
来なくていい、と訴える
↓
お母さんの気持ちを受け取ってくれないの?と嘆く&娘を責める
↓
自分の意見をいっては人を傷つけてしまうのだ、とビリーフがインプットされる
↓
自分の意見を言えなくなる
↓
看護婦さんから、自立できていない、と責められる
↓
自分は自立できないダメ娘なのだ、とインプットされる
そりゃそうです、だって自立するためにはお母さんの(余計な)お世話を断ることが必要、でも”嫌”と言えない。お母さんにイヤと言えない限り、ゆかりさんは自立できたという実感を持てないのです。
立派な呪いですね。
ゆえにゆかりさんは自分の”好き”を出せない人となってしまっているのです。
では、どうすればいいか。
お母さんのオファーが拒めないくらいに強力であった、その”せい”で自分の想いは封じ込められてしまっていた、と認めることです。
食べたくなもの、いくら持ってきてくれたって嬉しくないですやん。
食べたくない、って言っても聞いてくれないのは相手の”せい”ですやん。
母子という関係では、それでなくても母が元々強者です。娘がかなうはずもありません。
親子関係の呪いで難しいのは、親に立ち向かえなかった弱い過去の自分のイメージをずっと引きずっているとこです。
もう親の手を振り放すことできるのに。
立ちはだかる親を、なんなら押し倒して進んでいけるのに。
自分が強い大人になったという自覚が持てないのです。弱くて小さい、親の比護が必要な子供のままなのです、脳内セルフイメージは。
実際に成長するに費やした年月を思ってください。その間、あなたは何もしていないわけではありません。いろんな体験をして、様々なものを手にされているはずです。
お母さんから押し付けられたものばかりではなく、自分で取捨選択して手にされたものもたくさんあるでしょう。
それに気づいてください。
呪いすら、すでに幻です。
自分の”好き”があるのなら、あなたはもう自立しています。
ダメ娘の着ぐるみはもう脱いでください。
着ぐるみ、暑かったよね。
丶(・ω・`) ヨシヨシ