Aさんという方がいらっしゃいます。
Aさん、ご両親からかなりの仕打ちを受けていらっしゃいます。
なぜかAさんのお友達は親と仲良しの方が多いようなのです。
Aさんが親から受けた仕打ちを話すと「信じられへん」「ほんまの親子じゃないんと違う?」と驚かれるそうです。
自分にひどい仕打ちをする親について語る時、否定的なテイストになるのは仕方のないことでしょう。
しかし親と仲良し派の方々は、親に否定的な気持ちを抱くということが理解できないようなのです。
Aさんが親への否定的な気持ちを口にすると、それは全力で「親不孝もの」という非難となるそうです。
Aさんのことをブログに書きたいな、と思いました。
そう思っているところにちょうど文章を添削してもらえるという機会があり、Aさんについて書いたこと、プロに添削してもらいました。
添削前と添削後の両方を掲載いたします、タイトルは「エンパシーが争いを減らす」です。
添削前
Twitter上でよく見かける論争、家庭内における家事の配分が妻と夫で相手に求めるものが違うことに端を発しているものがあります。
妻は夫が家事(育児も含め)をやってくれていないと怒っている。
夫は「こんなにやっているのに」「できる限りのことをやっているのにこれ以上どうしろと?」と妻に不満を抱いている。
妻と同じ立場の人が「ウチのダンナも使えないのよ!よくわかるわ!!」と怒りを共有できるのがシンパシーで、妻と同じ立場の人が「望んだようにやってくれないのはイライラするけど、”こんなにやっているのに”という気持ちはわかるわ」と共感するのがエンパシーだそうです。
相反する価値感に基づく感情があった場合、同じ感情になれるのがシンパシー、まさに同情ですね。同じ感情にはなれないけど、言ってることはわかるというのがエンパシーです。
シンパシーは獲得しようと思ってできるものではありませんが、エンパシーは理解しようという意思があれば、それは他者との間に橋を架けてくれるものとなり得ます。
理解、つまりその発言の根拠は何かを推測し、得られたものを他者との前向きなつながりにしようとする意思。
早く死んでほしい
それをAさんの口から聞いた時、そりゃそうだよね、と思いました。
Aさんが死んで欲しいと望んでいるのはAさんのご両親。
こんなこと思ったらダメなんでしょうけれど、とAさんは自分を責めます。
娘であるAさんの人生を踏みつけにし続けてきたご両親、そして今、Aさんはご自身のかなりの部分を犠牲にしてご両親のお世話をされています。
Aさんが何かをしよう、前に進もう、と思ってもご両親の存在が邪魔になります。ご両親によって何かを諦めさせられるのは今に始まったことではありません。
Aさんのこれまでの人生のほとんどと言って過言ではありません。
ご両親がいなかったら全て思うように進むのにね、とAさんを応援することが仕事の私もつい言ってしまいます。
ほんと、ほんと!同じ、同じ!と気持ちを共有できたらどんなに楽なことでしょう。
親に死んで欲しいと思っている
同じ、同じ!
私も親がさっさと死ねばいいと思ってる!
このような会話ができれば罪悪感を背負うこともないでしょう。
Aさんの周りにはなぜか親から傷つけられたという人が少なく、Aさんが親との不和を口にすると
そんなこと言っちゃダメ!
親は大切にしなくちゃ!
と正義の鉄槌が下されるそうなのです。当然Aさんの罪悪感は増強されるばかり。
親に死んで欲しいと思うに至るには、どんなことがあったのか。
そこに思いを馳せていただけたなら、好きで言ったことではないとわかるでしょうし、背負ってきた辛さも垣間見えることでしょう。
たとえ自分が共有できる感情ではなくても、なぜそうなったのかを考えること、正論を返す前にエンパシーを意識することで、結果の出ない言い争いは減るのではないかと思います。
添削後
親に死んで欲しいと思う人の気持ちが分かるでしょうか。
Aさんが死んで欲しいと望んでいるのはAさんのご両親です。
ご両親は娘であるAさんの人生を踏みにじってきたそうです。
中学生だったAさんが、高熱にうなされていたのに、ご両親は「医療費がかかる」からという理由で、医師に診せてくれなかった。
怪我を負ったときも、ほったらかしにされた。
進学したい高校があったのに「女の子はそんな学歴はいらない」と受験すらさせてくれなかったそうです。
Aさんは、ご両親によって人生のあらゆることを諦めさせられ続けているのです。それは今でも続いているとAさんは、私に訴えるのでした。
私もAさんに「ご両親がいなかったら全て思うように進むのにね」とつい言ってしまいました。
Aさんを心理学と占いで支援する立場の私がです。
「そうね、そうね。同感するよ」とAさんと気持ちを共有できたらどんなに楽でしょう。
私もAさんの「親がさっさと死ねばいいと思ってる」よ。
Aさんにそう言葉をかけられたら、私も罪悪感を感じることはないでしょう。
Aさんの周りにはなぜか親から傷つけられたという人が少なく、Aさんが親との不和を口にすると
「そんなこと言っちゃダメ」
「親は大切にしなくちゃ」
非難の嵐に見舞われるそうです。
当然Aさんの罪悪感は増強されるばかりです。
エンパシーをご存じでしょうか。
エンパシーとは、自分と立場が違う人への共感です。
Twitter上でよく見かける論争があります。
妻と夫とで相手に期待するものがすれ違うことがあります。
家事の配分などはすれ違いの大きな原因でしょう。
妻は夫が家事(育児も含め)をやってくれていないと怒っている。
夫は妻に不満を抱いている。
「残業も断ってまで食事の支度をしているのに」
「アイロンがけだって、精一杯こなしているのに」
「洗濯だって手伝っている。これ以上どうしろと言うんだ」
不満を共有できるのがシンパシーです。
不満を共感できるのがエンパシーです。
同じ感情になれるのがシンパシーだそうです。
同じ感情にはなれないけれど、言っていることは理解できるのが、エンパシーだそうです。
不満を持つ妻たちが「ウチのダンナも使えないのよ、よくわかるわ」が、シンパシーです。
「『こんなにやっているのに』という気持ちはわかるわ」が、エンパシーだそうです。
相反する価値感に基づく感情があった場合、言ってることはわかるというのがエンパシーです。
シンパシーは獲得しようと思ってできるものではありませんが、エンパシーは理解しようという意思があれば、相手との間に橋を架けてくれるものとなり得るのです。
相手の発言の根拠は何かを推測します。
推測が確かなら相手との間に心の橋が架かります。
「両親には早く死んでほしい」
それをAさんの口から聞いた時、そりゃそうだよね、と思いました。
これは私のエンパシーだったのです。
Aさんは「こんなこと思ったらダメなんでしょうけれど」と自分を責めていました。
親に死んで欲しいと思うに至るには、どんなことがあったのか。
そこに思いを馳せていただけたなら、好きで言ったことではないとわかるでしょう。
背負ってきた辛さも垣間見えることでしょう。
たとえ自分が共有できる感情ではなくても、なぜそんな考えに至ったのかを推測することが大切です。
これがエンパシーです。
エンパシーを意識することで、結果の出ない言い争いは減るのではないかと思います。
添削してくださったのは美樹香月さん。添削といっても一方的に赤を入れられるのではなく、オンラインで読み合わせをしながら直していく作業でした。
「という」は、婉曲表現で使われやすい書きグセです。
— みきみき @ 作家 & 大人のたしなミスト(美樹 香月) (@mikikazuki2020) April 7, 2022
直接的な言い方を避けて、遠回りに意味を察して理解して欲しいと考える人が多く使う傾向にあるようです。
しかし書きグセとして、無自覚に書く「という」は、読みにくい文章になってしまいます。https://t.co/daosAvPcoQ #ライター #文章
自分の文章のクセがよ〜くわかりました。いらんクセがあると、伝わりにくいということも理解です。
文章を書く目的を尋ねられたのです。
ちっちゃいちゃん(とは言わなかったですけどね)の物語を書きたい、そしてご自身の人生の切なさを認めてヨシヨシしていただきたい(ヨシヨシとは言わなかったですけどね)と答えました。
救ってくれたもの
ちっちゃいちゃん(たち)が私を救ってくれたのです。「あなた」のちっちゃいちゃんは「あなた」を救ってくれるのです。
丶(・ω・`) ヨシヨシ