50代の無職女性。要介護5の90代の母親を在宅介護して4年になります。学生時代に父は他界。一人っ子で独身、子どももいません。
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自分の人生を犠牲にしているという思いが拭えず、何でもないことで腹が立ち母に当たってしまいます。自己嫌悪で眠れない毎日。だんだんみすぼらしくなっていく自分と将来への絶望感で逃げ出したい気持ちでいっぱいです。気持ちを整理するアドバイスをお願いします。(北海道・E子)
相談文全文はこちら
https://www.yomiuri.co.jp/jinsei/20220813-OYT8T50035/
現在の介護にまつわる全てが凝縮されたような状況ですね。これは個人の責任ではなく社会の構造問題。それは行政やプロになんとか力を貸していただくとして、どうにかしたいのは自分の人生を犠牲にしてしまっているということ。
いえ、違います(どっちやねん。
自己嫌悪になってしまってるってとこですよね。自分を責めざるを得ないのは人を憎むよりも辛いこと。
今日はカードです。
・ブロックしているもの「ハートブレイク」
・では、どうするか「許し」
・得られるもの「インスピレーション」
・現状「皇帝」
昭和の時代にはひとりっ子はワガママだ、などと謗られることもありましたが、ひとりで親を背負わなくてはいけないひとりっ子の大変さはあります(兄弟姉妹がいたら、それはそれで揉めますけど。
親の老後をどうしようという不安、親の面倒をみなくてはいけないが故に自身の人生の選択肢が限られてしまうこともあります。そのパターンはひとりっ子の方が多いのでは。
相談者さんもお小さい頃から無意識のうちにその義務感に囚われていらっしゃったのではないかと思います。
それがあると、勝手に選択肢を狭めてしまうのですよね。
犠牲とは、費やしたものに見合ったものが返ってきていないということ。それは単なる事実です。
相談者さんがこれまでに費やした時間やお金やエネルギー、それに見合ったものを手にできていないということは事実です。
でも、犠牲感を抱くことで自分を責めるし、お母さまにも優しくできないとまたご自分を責める。
行き場のない気持ち、本当にお辛いことです。
自分を責めるなといっても責めずになどいられないでしょう。
犠牲は客観的な事実であるという考えが少しでも罪悪感を減らしてくれますように。
そして少しでも犠牲を埋めるため、福祉のサービスに食らいついてください。
費やしたものに見合ったものを手にするには、それをやった自分を最大限に評価することです。
こんなにやった私すごい!と。
相談者さんが犠牲スパイラルから早期脱却されますこと、熱烈祈願です!
回答は佐貫葉子(弁護士)さん。
お母様のために自分の人生を犠牲にしていると考えるのは悲しいことです。そう考えるとわずかなことでも腹が立ち、またそのことに自己嫌悪を覚えるという悪循環に陥ります。少しずつでもあなたがご自分の時間を取り戻して楽になられることを願っています。
年金や医療、健康保険のシステムなど、個人ではどうもならんことばっかですね。政治の失敗の尻拭いを個人の犠牲でまかなってる感じ。
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昨日は御贔屓バンドのライブ&イベントに尼崎まで足を伸ばしたのですが、待ち時間中に体調悪化、今日から富山にノーコツツアーなので大事をとって撤収しました(号泣。
尼崎といえばダウンタウン出生の街として有名ですが、阪神タイガースタウンでもあるのですよ。街の全てがタイガースに彩られています。
甲子園で阪神の試合があった後の阪神電車の中の雰囲気、それが街全体に埋めつくされている感じといってどれだけの方がわかってくださるでしょうか。
帰りの電車内、盛り上がっている阪神ファンらしき熟年ご婦人たちに「尼崎の帰りなんですけど、こんなのありました〜」と動画を見せたら大喜びしてくれました。