60代の会社員男性。人づきあいがうまくいかずに悩んでいます。
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家族や周りの方とうまくいかないのはなぜでしょうか。これから人づきあいにおいては何に気をつければよいでしょうか。(大阪・Y男)
相談文全文はこちら
https://www.yomiuri.co.jp/jinsei/20221124-OYT8T50105/
波風立てず定年まで勤め上げられた、お疲れ様でした。それがうまくいかなくなった。
ひょっとして定年は5年前ですか?
定年前は立ってなかった波風が定年後に立つようになったとか?
今日はカードです。
・ブロックしているもの「執着」
・では、どうするか「手放す」
・得られるもの「インスピレーション」
・現状「オカメインコ/スズメ、もとい、愚者の逆位置」
お勤め男性で「ネクタイ外したらどうしていいのかわかんない」と途方にくれる方が昭和の時代には珍しくありませんでした。
ネクタイ、会社員という着ぐるみがないと自分を保つことができなかったのでしょうね。着ぐるみの中は空っぽだったということでしょうか。
会社というパッケージの中で慣れ親しんだものがなくなって、新たなルールを構築しそびれてしまった状態のように感じます。
>意見が合わず叱責
似たようなことは会社でもあったのでは?お勤めの時はやり過ごし方が身についていたからさほど苦ではなかったのに、会社員という着ぐるみ、自分を守ってくれるものがなくなって風がキツく感じていらっしゃるのでは。
波風立てずに過ごすために、どのようなスキルがあったでしょう。アフター定年の環境でも波風を立てたくないのであれば、会社員時代にどうやっていたのかの棚卸しを。
もしも、もしも、波風立てずにいることがずっと苦痛であったのならば、立てた波風をいかに乗り越えていくか、新たなチャレンジが必要かと。
つまり、会社と非会社では通用するものが違うということです。
回答はいしいしんじ(作家)さんです。
「ごめん」「悪かった」「あの時はすみませんでした」。こうしたことばは、人と人の間にノリのように作用する。一時的に接着はきくが、関係を長持ちさせるためには、ことばのメンテナンスがたえず必要だ。面倒だな、と感じるかもしれない。本来、人間ほど面倒なものはない。だからこそ、友、家族、同僚、生じた縁のすべてが、ほんの 些細ささい なひとことで、一生の宝になり得る。
いしいセンセのアドバイスは謝罪の大切さを説かれているようですね。相談者さん、会社員時代は「波風を立てないため」に、とりあえずの謝罪が多かったのではあ?と穿った見方をする私を許してください。