母を介護 言葉の暴力後悔[読売新聞人生案内]

70代前半の男性。今年1月、96歳の母が、心不全で亡くなりました。

昨春、遠方で一人暮らしをしていた母を自宅に引き取りました。本当は施設に入ってほしかったのですが、本人が嫌がり、2人の弟も知らぬ顔でした。

老い先長くないのだから大事にしようと頑張りましたが、介護のストレスから半年ほどで顔を見るのも苦痛に。亡くなる1か月前からは私の言葉の暴力がひどくなりました。それが、母が急激に体調を崩した要因の一つと思っています。

私は幼少時、母に虐待され、小学生の時には、食器を投げつけられて、頭を11針縫いました。母からは一度も謝罪はなく、心の大きな傷となっています。

介護の際、幼少時の母の仕打ちが思い出され、我慢できませんでした。入院時、手を握ると、母は嫌がりました。今も後悔し、精神的に落ち込んで、眠れないこともあります。妻は「いいかげん、飛び越えなさい」と言います。(千葉・O男)

こんにちは
あなたの罪悪感を消滅させる
ヨシヨシする人ヨシヨシスト
いまぷ です。

これを読まれたあなたは、どう思われたでしょうか。

「70歳も過ぎて、昔のことをグズグズと」、そのように思われたでしょうか。

かようにも、人が受けたダメージって無くならないんだという、いい例です。

いえ、無くなります(どっちやねん)。

お母さまを引き取ることがなければ、O男さんの傷はしっかりと絆創膏で覆われたままだったでしょう。

そしてお母様からの「仕打ち」もそう思い出すことなく、過去のことはもういいか、と流せていたかもしれません。

傷口に塩を塗られてしまっては、思い出し、向き合わざるを得ませんよね。

そして注目していただきたいのは、思い出させられたのは傷ではなく、「傷に蓋をしていた」ということなのです。

人が傷に蓋をするのは、傷に絆創膏を貼ってしまうのは、そうしなければ痛みをやり過ごすことができないからです。

傷の種類によっては、塩を塗ることを避けていけば治ってしまうものもありますが、O男さんの傷に日にち薬は効かなかったということです。

そうも強く蓋をしていた、そうも深い手負いだったということです。

深い傷を抱えながらも、70年以上も生きてこられた。

まずは、ご自身の生をつなげてこられたこと、ご自分を労ってねぎらってあげてください。

理想通りの慈愛に満ちた介護ができなかったことで、どうしてもご自分を責めてしまいますよね。

🔸ブロックしているもの「役割」

他者から望まれた役割をやってしまっている

🔸では、どうするか「真実」

役割ではなく、真実の自分を生きることが求められている

🔸得られるもの「喜び」

多くの人が集う、たいへんポテンシャルの高い場の中心に身を置くことができる

🔸これから「愚者」

世間体やしがらみを気にせずに、自由に振る舞うことによって可能性が広がっていく

誰かのために良き人になろうとしなくても、K子さんの魅力そのものに人がよってきますよ。

周りの方に頼ってあげてください、きっと喜ばれることでしょう。

回答は大野裕(精神科医)さんです。

母親の介護に関してはあなたの妻も協力してくれていたのでしょう。「もういいかげんに飛び越えなさい」という言葉、なんて素敵なパートナーがいらっしゃるのでしょう。

あなたの家庭の温かい空気が伝わってきました。それは、あなた自身が、温かい方だからなのだと思います。

優しい人ほど、自分を責めますからね。責める代わりに、ヨシヨシを。

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