自己肯定感の低い30代の専業主婦。3歳になる娘と向き合えていない気がして悩んでいます。
子どもに執着、依存してはいけない、私も自分の人生を生きなければと思い、専門学校に通うことを決めています。(愛知・W子)
いまや「自己肯定感」という言葉も害にしかなってないような気がします。
これが”用語”で陥る沼です。
「ねばならない」テイストが醸し出されてきちゃうんです。
自己を肯定しなくてはならない
できない自分はダメだ
ダメな自分こそ受け入れなくてはならないのに、ダメな自分はダメだ、となると、一体どうしたらそこから抜け出せるんですか。
なので用語が溢れかえってる心理学の本なんかは遠ざけた方がいいのですよ。一時的な分析には有効ですが、ずっと身近に置いておくものではありません。
今日はカードです。
・ブロックしているもの「主導権争い」
・では、どうするか「選択」
・得られるもの「喜び」
・現状「法皇の逆位置」
法皇の逆位置、このカードからスタートして回答させていただきます。
法皇は啓蒙の象徴、逆位置はそれができていないということ。
何が啓蒙できていないのか、それは相談者さんが娘さんを大好きだという気持ちです。
なぜ出来ないのか、それは借り物の「こうあらねばいけない」という言葉で伝えようとしているからです。
好きなものを好きということ、嫌いなものを嫌いということ、相談者さんはひょっとしてそういうことをあまりやっていらっしゃらないのでは?
自分の感情をありのままに出すこと、それこそが自己肯定です。
「ねばならない」とセットの「〜してはいけない」、こちらの呪いの方が強そうです。
ご自身の喜怒哀楽に素直になることによって、娘さんを大好きというお気持ちも素直に、ストレートに出せるようになり、向き合えてないなんて不安はなくなっていくでしょう。
相談者さんへのご提案は、感情を素直に出すことのリハビリです。
リハビリの結果得られるのは「喜び」、人がいっぱい寄ってきますよ。相談者さんのファンになる人、そして相談者さんがファンになれる人。
回答です。
もちろん大切なのは、なぜそうも「ねばならない」に縛られるようになってしまったか、ですけどね。
どんな相談でもおざなりにされているのがこの「なぜそうなってしまったか」です。
コネクトロンのセッションは「なぜそうなってしまったか」を明確にし、ご自分を責める気持ちをなくしていただくことを目標にしています。
滝詣連続531日目(2022/01/25分)
昨日はンヶ月ぶりに休肝日、食べる量もすごく少なかった。さぞかし爽やかな目覚めかと思いきやどうにも起きられず。呑んでたほうがマシだったか!