↓こちらのエントリーの第2稿です。
◯○を手放した寿司職人、寝たきりから脱却成功!
縦のものを横にもしない、って言い方しませんか?
縦のものを横にもしない、って言い方しませんか?
とにかく何もしない人のこと。
いえ、何もしないわけではありません(どっちやねん。
何もしないというより、自分以外の人にさせるんですよねー。
きっと一人暮らしだったらできていること、やってくれる人がいるからしなくて当たり前になっちゃった。
食後に「お茶」といえばお茶が出てくる。
いや、違う、そこの君(どこの?)、「お茶」ってオファーがないのに勝手にお茶出してないか?
何もしないダンナに感じるストレス、○○を手放すことで解消できます
○○とは「役割」。
映画の役を想像してみてください。
病院が舞台だったら、医者と患者を演じる役者さんがいることでしょう。
医者だけ、患者だけ、それぞれ単体の設定って珍しいのでは。
治す人と治される人はセットです、ニコイチです。
ストレスを感じさせる何もしないダンナさんとセットなのは、お世話をする妻なのです。
お世話係という役割なのです。
何もしない人=お世話をされる人は、「世話をする人」という役者を存在させるためにいるのです。
*ストレスの素、「何もしないダンナ」を消滅させるためやるべきこと
役割の大原則、それはニコイチということです。
セットでなければ存在し得ないのです。
陰と陽のように。
光と影のように。
影を無くしたければ、光を無くしてしまえばいいのです。
何もしないダンナを無くしたければ、お世話をする人をなくしてしまえばいいのです。
役割を拒否した寿司職人、寝たきりから脱却成功!
難病のために寝たきりとなった寿司職人さん、妻は人生をかけて夫の介護をしなくてはならない、と覚悟を決めました。
そしてファーストバイトならぬ初めての食事の介助、差し出したスプーンを夫は拒みました。
「こうして食べさせてもらったら、ボクは一生、キミの介護がないと生きていられない気がする。」
寿司職人さんは手を使わずに口だけで、犬や猫のように皿の料理を食べたのです。
お分かりですか?
寿司職人さんは「介護される人」という役割、妻さんは「介護する人」という役割。
妻さんからの「さ、役割を始めましょうね」というオファーを寿司職人さんは拒んだのです。
その結果、寿司職人さんは寝たきり状態から脱却することができました。
「介護される人」という役割を拒否したがゆえです。
何もしないダンナにストレスを感じているのは「何もしないダンナにストレスを感じる」という役割
役割の良いところ、それは手放せることです。
役者が舞台を降板するようなものです、こんな役やってられっか!と。
役が嫌だったら、演じなければ良いのです、役者を辞めたらいいのです。
何もしないダンナというものの存在を許しているのは、お世話をする妻です。
「何もしないダンナ」というのは夫さんの本質ではありません。
「お世話をする妻」という役者がいてこその、役割なのです。
「お世話をする妻」という役者がいなくなれば、「お世話をされるダンナ」「何もしないダンナ」という役者は存在する必要がなくなります。
まずは「お世話をする妻」という役割を手放すこと。自ずと「お世話をされるダンナ」「何もしないダンナ」は姿を消すことでしょう。
何もしないダンナ
お世話をする妻
どちらもただの役割です。お二人の本質ではありません。
役割を手放した後は、本来の姿でつながれることでしょう。
ステキなパートナーシップを💕