主旨)人生案内をネタに好き勝手書く
40代の主婦。1年半前に長く働いた職場の人たちとの連絡を断ち、連絡先も消してしまいました。仕事はやりがいがあり、本当は続けたかったのですが、人間関係で嫌な思いをして辞めたためです。
・地元の友人たちとも連絡を断った
・小学校からの5人グループ、結婚して地元を離れたが年末の集まりの連絡は来ていた
・仕事で行くことができなかった時からLINEで返信をしても返事がない
・今年は年賀状も来なくなったから
・最近、地元の名前を見るたび腹立たしさと寂しさが同時にこみ上げ苦しい
友人や仲間は本当に必要でしょうか。嫌な人のことは忘れてしまいたいのですが、時々心の中に出てきて、怒りがわいてきます。心穏やかに生きていくためにはどうすればいいですか。(東京・P子)
あなたの罪悪感を消滅させる
ヨシヨシする人ヨシヨシスト
いまぷ です。
こんにちは、「友達いない選手権神戸市中央区代表」の私がやってきましたよ!
友人がどうこうというネタになるたび思うのが、そもそも友人ってなに?あなたにとって、私にとって、友人の定義って違くない?です。
距離感の違いかな。
職場の方と連絡を断ったことと、地元のお友達と連絡を断ったこと、この2つは異なるものですよね。
前者は自分をまもるため、危害を加えられる場から身を遠ざけた。
後者は、仲良しグループの他の面々と相談者さんとでは仲間の距離感の定義が違っていたということ。
例えば。
毎日会える人こそが友達と思っているか、たまに会いたいと思った時に会える人を友達と思うか。
前者の方にとって後者を友達とすることは難しいでしょう。
歳を重ねて双方の生活環境にも変化があり、人間関係の距離感も変わってきます。
それを共有できなくなって離れてしまうのは致し方なし。それを寂しいと思うのも当然です。
同じものを共有できる人とは自然とつながるものです(と、私は思っています。
そのためには、自分が大切にしているもの、譲れないものは何かということを、他者にわかってもらう必要があります。
なんつか、「こういう人と私はお付き合いしたいのです」という思いが周囲ににじみでたらいいですね。
そもそも幼なじみって、価値観も定まっていないときにたまたま環境が似通っていたからということで繋がった関係。
共有できていた過去はあるかもしれませんが、大人になって価値観が確立された上で繋がった関係ほどの必然性はないのでは(と、私は思います。
価値観が異なっているということが年月を重ねてはっきりしただけのことです。
これからは、一緒にいることで得られるものが本当に必要な方とつながることを意識していかれてはいかがでしょうか。
得られるものが、その時たまたま軽くお喋りするだけ、でもいいのですよ。
回答は山口恵以子(作家)さんです。
だからあなたも、友人や仲間という存在をもっと気楽に「その時々で付き合って心地よい人たち」と割り切ってください。そして、今のご自身が一緒にいて気楽に過ごせる人と、緩やかに付き合っていきましょう。
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