先だってのカンブリア宮殿、GODIVAジャパンの社長が取り上げられていました。
高級とされるGODIVAの商品をコンビニでも販売するようにしたとか、色々な改革で持って売り上げを3倍にしたとのことです。
こんなインタビューがありました。
ゴディバは店に入る自信がない
みなさんやらかしがちな、典型的な「自信」の誤用例です。
では復習を。
自信とは因果です。
これをやったらこうなる、と結果がわかっていることです。
100メートルを11秒で走ったことがある人は
100メートルを11秒で走れる自信がある、と言います。
走ったことがない人は
走れるかどうか自信がない、となります。
では、ゴディバに入る自信がない、とは何か?
これは100メートルを走れるかどうかとはちょっと違います。
なぜなら、因果の果を他者に委ねているからです。
ゴディバに入っていいかどうか、判断するのは自分ではないのです。
ゴディバってドレスコードでもあるんですかね。
ゴディバに入る自信がない、と口走しっている女性は
私はゴディバに入る資格がない、と言ってるようなものです。
ゴディバの人、もしくは他の人から
あんたなんかゴディバに入っちゃダメ!と
言われるかも、と恐れているのですよ。
もしももしも実際に足を踏み入れて
お客様、その服装ではちょっと、とか言われたなら
ゴディバに入る資格がない、と判明します。
しかしこれを、ゴディバに入る自信がない、
とは言わないですよね。
ゴディバに入れない、という結果が明らかになったとしても。
ゴディバに入っていいのはこんな人だ、とかってイメージがあるのでしょうね。それに必要とされる条件を自分は満たしていない、ということには自信があるのでしょうね。
店に入る自信がないのではなくて、あるのは、入れない、という自信です。
自信=因果の果とするならば、結果がわからない状態=自信が持てない、不安な状態です。
不安を解消するにはどうすればいいか。
結果をはっきりさせるだけ。
自分がゴディバにふさわしいかどうかを明らかにするしかありません。
どこのゴディバの店舗スタッフが「お客様、その服装ではちょっと」などと言うでしょうか。
ゴディバの商品を味わいたい、というゴディバ愛よりも、自分はふさわしくない、という自己否定のエゴがうわまわっているのです。
ゴディバごときで(失礼)臆してしまうようになったのはなぜか、自尊心を育ませてくれなかった原因があるはずです。
あなた以外の何者かが、あなたの誇りを傷つけたのです。それゆえに、ゴディバに入る自信を持てないのです。
チョコが好きなら、美味しいショコリキサーを味わいにお店に足を踏み入れましょう。バレンタインにチョコをあげたい人がいるなら、その人のために美味しいチョコを仕入れに行きましょう。
チョコ愛、チョコをあげたい人への愛があなたに自信を持たせてくれることでしょう。
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火のついたお線香を足に押し付けても熱くない、というのは本当に不思議な光景でした。