あなたに人を不幸にする力などありません

みなさんご存知のように(知らんか)人は痛い目にあわされてしまったら、痛い目にあわせた人を恨むのではなくて、そんな目にあってしまった自分、と自分を責めるのです。

なぜか。

人を恨むという行為は当然相手がいますから、相手から返ってくるものを期待するわけです。しかし、必ずしも期待したものが返ってくるわけではありません。期待したものが返ってこないと失望します。

恨む相手とのキャッチボールがうまくいかないことで自分が傷つくことを回避するために、ひとりで完結できるように、自分を責めるのです。

私が悪いんだ、と。

私が悪いんだ、の類似品に、私のせいなんだ、というのもありまして、これも需要の多い人気商品ですよねー(違。

私が悪いんだ、と、私のせいなんだ、英語にすると似て非なるものだということがよくわかります。

前者は「It’s my fault」、後者は「Because of me」。「せい」というのは単なる因果であり、悪いかどうかってジャッジは”本来”は含まれていないのですよ。自分が「因」となって「果」を引き寄せてる、というただの現象です。

私が悪いんだ、は因果のつながりが明確であることが多いですが、「せい」というのは汎用性がたかいだけに、使う必要がないとこにも使われてしまっています。その結果、罪悪感を抱く人がより増えてしまってます。

「せい」とセットで使われるものに、バチが当たる、もありますよねー。なんかよくないことが起きたら、バチが当たった、私のせいだ、と。自分自身に災いがふりかかるならまだしも、全然関係ない人さまに起きた事故まで自分の「せい」にしちゃう。

大丈夫!あなたにそんな力ないから!!そんな時空をこえる超能力ないから!!!

なぜ自分を人の幸・不幸を動かせるほどの能力者だと思ってしまうのか。

大切な人が苦しんでいるのを見ているのが辛いから。

見ているだけで辛いほど大切だから。

その不幸をどうにもできない自分の無力さがやるせないから。

自分さえ悪者にしとけばすべて丸くおさまる。

でも。

罪悪感をひっかぶってしまった自分は絶対に幸せにはなれない。
参考エントリー:罪悪感は不毛なスパイラル、己を責める人はそれを見ている人をも辛くさせます

本日の参考テキストです。
f:id:connectronkobe:20180415092304j:image
(おやじのせなか)木村多江さん 49歳、幸せだったのだと

私が父を死なせたんだ、と思いました。夜遅く帰ったり、長電話をしたりした私が、ストレスの元だったのだと。

それから、私の世界から色が消え、景色が白黒に見えました。

失ったものをあきらめることは辛いです。大切なものの存在が自分の世界から消えてしまうのは辛いことです。

自分が違う結末を用意できたなら。

ハッピーエンドのシナリオを用意するには、自分に他者の運命を左右する力を持たせなくてはなりません。そのためにも、人の災いは自分の「せい」にする必要があるのです。

大切なものを失わずに、幸せな未来があったはず、という可能性をゼロにしないためにも、いまある不幸を自分の「せい」にする必要があるのです。

でも。

あなたが自分を責める姿は、あなたを大切に思う人の心も苦しめることとなります。だって罪悪感は相互のスパイラルだから。

私のせいだ、と自分を責めるのではなく、私のせいだと思って辛いよね、とあなたに寄り添ってくれる人のほうに目を向けてください。あなたに寄り添ってくれる人、いないのではなくてあなたが目を向けないだけですよ。

丶(・ω・`) ヨシヨシ

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