これ⬇︎の続き
次に貼り付けたスクリーンショット、これを見て何を感じられますか?
https://twitter.com/hiroshisj/status/887318428075212800
これに納得できる方は、「選んで生まれてきた」説を受け入れることができる方ですよ。
もとい。
受け入れることができた方ですよ。
ご自身の艱難辛苦の意味を見出せたのです、自分の選択の結果なのだ、と。
なぜそれを選んだのか。
そこに「気づき」とか「学び」があるのでしょう。
実際になくてもいいんですよ。自分がそう思えたらいいのです。
すごいセルフ言い聞かせ。
自分が選んだんだ、と自分で思うのはいいんです。
それを他者に言い聞かせるのはあかんやろ。
渡辺和子さんの著書、そんなに読んでないんですけど、私が初めて渡辺和子さんにたどりついたのは、嫌いな人への対処法に困っていた時。
嫌いな人はいて当たり前、異文化、外国人だと接すればいいのですよ、という言葉に目からウロコが落ちて楽になりました。
渡辺さんの著書に「置かれた場所で咲きなさい」というものがありますが、実は未読なんですけど、環境に文句を言わずにその場で自分のベストを尽くせ、みたいなことが書かれてあるのかな、と勝手に思っております。
では、置かれる場所は選べるのか。
紫陽花って土壌によって色が変わりますよね。
まさに、置かれた場所で咲いた結果です。
そこに置かれたから、そこに植えられたから、土壌の影響を受けています。
紫陽花は植えられる場所を選べません。
赤い花になりたかったのに、青になっちゃったのは、生まれ育った土壌の「せい」です。
赤の花になりたいけど、赤い花を育む土壌に場所を移すことはできません。
人と紫陽花は違うだろ。
そう、人は居場所を移すことができます。
が。
育った土壌の影響というのは不可避なのですよ。
生まれもったのは紫陽花という形、でも、色は育った環境に左右される。
自分は赤だ、赤はいやだ、ということに気づけるのは、他者との遭遇があったからのこと。他者と自分の比較なしに、自分とは何か、嫌なのか、これでいいのか、嫌だったらどうしたらいいのか、ということはわかりません。
わかる前、わかった後。
わかった後にどうするかは自分の選択です。
色を変えたいのに場所を移すアクションを起こさずに、変われない、変われない、とぼやいているだけの方は自分の責任です。
※でも、そこにも、動きたいのに動けないって理由があったりもします。
自分とは何者かがわかっていない時期に、育った土壌の影響ゆえに起きた出来事を「自分のせい」と責めるのは酷ではないでしょうか。
そしてそれを、選んで生まれてきた、ということも。
土壌の影響の大きさを、みなさん過小評価しすぎだと思います。もちろん、土壌によって育まれたメリットもありますが、被ってしまったダメージ、デメリットもあります。それこそが、目の前の問題の原因になっていることの多さときたら!!
病気、家族のこと、いろんな問題があることでしょう。正直なとこ私も、なんでそんな問題がおきるのかまったく手がかりが掴めないケースもあります。
そんな時にお伝えできる数少ないこと、それは。
その問題がなければ何ができていますか?
その問題から解放されたなら、何ができますか?
その「何か」に一歩を踏み出すことが滞りを解消する呼び水となりますよ。
たとえ苦しみが霧散することにはならなくても。
その問題は「踏み出せなかった一歩を踏み出すきっかけ」という意味を持つのです。
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