ブログが更新されていませんけれど、どうしましたか?と心配するメールを一通も受け取っておりませんが。
誰か、心配して(懇願。
ヘルペスというか帯状疱疹で痛みにのたうち回っておりましたことよ。やっと起きていられるようになりました。
ヘルペスの詳細な経過は↓こちらをご覧くださいませ。
帯状疱疹治療レポート
いかに心と身体はつながっているか、ということが今回のテーマです。
ヘルペスをやるのは2度目、前回は17年前。離婚でゴタゴタしていた時です。
当時の職場には関わる人を片っ端から蕁麻疹にさせてしまう生物兵器のようなオバはんがおりました。私も例外ではなくヘルペスになってしまい、オバはんによるストレス(あまり使いたくない言葉)であることは明らかでした。
ヘルペス発症後、時をおかずしてチビが水疱瘡に。絶対に私のヘルペスがうつったよな、と思いました。水疱瘡発症以後の数ヶ月は大袈裟でなく私の59年間で最も辛い時期でした。それを思えば辛いことなどありません。
直接のトリガーはオバはんですが、オバはんと同じとこで働かなくてはならなくなったのは離婚の”せい”です。離婚してなかったら、オバはんと同じ職場で働くことなどなかった。
じゃあなんで離婚することになったのか、と突き詰めていくと、なんで結婚することになったのか、とキリがないので今回はトリガー=オバはんとしておきます。
さて今回は何がトリガーであったか。
ママンですよー、ママン。
実は2ヶ月前から入院、コロナのため面会禁止、2ヶ月間ママンの姿を見てないのです。どんなに衰えているかと思うだに怖かったです。
食事が取れなくなって経鼻栄養の状態、サコージュに戻ることはほぼ絶望、入院のリミット3ヶ月後のことを相談しましょう、とケアマネさんから連絡があった翌日からヘルペスが出ました。
わかりやすいな、おい。
今回のトリガーはママンです。
今回のテーマは、心と身体がいかに繋がっているか、と前述いたしましたが、そうではありません(どっちやねん。
私なんかより1億倍離婚で苦労された方なんていくらでもいらっしゃるでしょう。でも、1億倍苦労してもヘルペスにはならなかったよ、と。
私の1兆倍介護で苦労したけど、ヘルペスなんてならなかったよ、とおっしゃる方もいらっしゃるでしょう。
そう、言いたいことはですね、発症のトリガーとなる飽和状態って人によってそれぞれだ、ということです。許容量も過去の痛みの積み重ねも違います。
だから、あなたより苦労した人はいくらでもいる、という物言いは何の気休めにもならないのですよ。私以上に苦労してる人がいるのに、なんてヘタレな自分、と責めることにはなっても。
言葉をかけるなら、しんどいよね、しんどかったよね、と。
あなたは悪くないよ、と。