これ⬇︎の続き
知恵袋の「唯物論を例えで分かりやすく手短に説明していただけませんか。」という質問への回答にあったものです。
他の人の意見がおおよそ正解かと
例え
「腹が減った、目の前に石が転がっているが・・・」
唯物「あれは石だ、食えるはずが無い」
唯心「あれは石だ、やがてパンに変わるに違いない」
どちらも餓死するとしたら
・唯物は夢も無く、現実だけをただただ見て哀れに死ぬ
・唯心はやがて食べれる石に舌なめずりし、夢を見ながら死ぬ
どちらも生きるとしたら
・唯物は石など捨て置き、さっさと「食べられるもの」を探す
・唯心は「石がパンに変わった」ので食べた
生存率の高さが現代社会でどちらが勢力を持っているかを示す
そしてそれが現実
パンは石に変わる、と信じることができるのが信仰。そして恐ろしいことに、本当にパンに変わってしまうという「奇跡」が起きることもあるというのが困ったもので。
その奇跡に人はすがるのです。なんで奇跡が起きるのか、それはごめんなさい、わかりません。
唯物論者は、そんなこと起きてないということを証明するためにあらゆる手段を尽くします。
たとえ目の前で石がパンに変わったとしても、それを認めることは自身の存在否定になるので、何があろうと認めません。認めないために尽くされる言葉の質・量ともにすごいことよ(トリックを見つけるとかね)。
目の前で起こる「奇跡」、なぜそんなことが起きるのかわからない、でも理屈らしきものがないと受け取れない、その理屈として、理屈でもないものをひっぱってくるのです、人智を超えたものを。科学では説明できないものがある、と。
比較的科学で説明できるっぽいものが、潜在意識の存在ではないでしょうか。だって潜在意識の存在もオカルトだ、って否定してるグループはありますものね。
女子供はなぜ占いに走るのか、という趣旨の本にあった結論は、女子供は抑圧された存在だから占いに救いを求めたのだ、というものでした。
すがるのですよ。藁にでも、イワシの頭にでも。そうも過酷なこの世である、ということなのですよ。
辛いのですよ。
その辛さを受け止めてくれる人がいないから、藁やイワシにすがるのです。
女性にエンパスが多いのは、まさに弱い存在であるがゆえに防御能力を発達させたからですが、悲しいことにエンパスの能力がポジな方向に発露されるケースって少ないですねー。
能力を持ったのは自分を守るため、何から守るためだったのか、どんな攻撃にどのようにダメージを受けてしまっていたのか、このへんがすっぽかされてしまってます。そう、穴を埋めることはしてるけど、どんな穴があるかわからなくなっている状態です。なのでエンパス的な能力が功を奏さないのですよ。
「そういう能力」を持っていることを訴えられるケースがここんとこ続き、なぜこのタイミングでそれを言うのかなー、と不思議でした。
ひとりの方は、生まれる前に「上」の人たちとどこに生まれるかを相談して、選んだ家が「上」の人たちから「あそこは大変だよー」って言われたけど、あえて「選んだ」と。
選んで生まれてきたんなら、その後の状況に文句いうことないですやん。望んだものが手に入っているのだから。まさに「選んで生まれてきた」のだから。大変な家をどうにかするために、その役割を背負って「選んで」生まれてきたのだから。
この方の長年にわたる葛藤に、トンネルの出口が見えてきた状態でした。そのタイミングで「選んで生まれてきた」とおっしゃるのですよ。
ね、「選んで生まれてきた」は他者が言い聞かせのために使うフレーズではなくて、克服した人が克服するまでの痛みを自分で昇華するために使うのですよ。
私はこの方に「あなたが選んで生まれてきた」とはとても言えません。自分で選んできた、人のせいにしなくて済むようになった、そうなれるまでにヨシヨシできたんだね、と思います。
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