今日もサイバラネタです。
後書きからちょっと転載。
で、そこで考えた。きっと私は幼少のミギリ、
FBI御用達の催眠術師ぐらいでないと思い出させることの出来ないような心の傷を
無数におわされたのではないか、と。だったら犯人は誰だ。ママだ。
とゆうワケで私は、幼い頃の自分の傷口におろないんをぬるべく、
淑子ちゃん(←ママ)とディスカッションをこころみた。三歳の時、家の消しゴムをなくしたのは私じゃなかったのに、ナゼあの時、私を殴った
四歳の夏、カレーなべをひっくり返したのは兄ちゃんで私じゃなかったのに、ママはどうして信じてくれなかったんだ
二時間くらい続けたら淑子ちゃんが泣き出してしまった。泣いてすむのは小学生までだ。ヤワなアマだぜ。
この後、サイバラにはいろんな変化、もちろんよい変化が訪れたそうで、
ママに言いたいことを言えたことが作用したのではないか、ということを匂わせています。
これと似たようなことが私にもありまして、この年末年始の帰省時に、母と大衝突してしまったのです。
母との因縁を語れば1万字を費やしても足りませんが、あ、めんどくさいのでmixiより一部転載(転載ばっかだな。
*
言葉の暴力が服を着て歩いている私の母の攻撃に、 たまらず泣いてしまいました。
チビの前でだめぢゃん、と思ったけど自制が効かず。
ワンワン泣きながら、暖簾に腕押し糠に釘のやりとりをしていると、 チビが母に向かって
おまえ(母のことね)、こいつ(私のことね)が なんで泣いとんかわからんのかっっ
と、怒鳴りつけたのです。
チビの剣幕に母は驚いたものの、自分の言葉の破壊力に自覚がないので、
なんで私が泣いてるのか、なんでチビが怒ってるのかわかりません。
とりあえず謝っとくわ、という態度です。
エビゾーが人を怒らせる天才なら、母は逆撫での天才であります。
口から発せられる言葉すべてが嫌みでコーティングされています。
チビも怒りながら泣き出してしまい、鼻水ぼとぼとたらしながら、
おれら二人がなんで泣いとるかわからんのかっ、なんでおまえはそんなモノの言い方しかできんのやっっ、
おまえには心が無いんかっっっ
と叫んでいるその姿に、男前やなー、惚れてまうやないか、と思ってしまった私を許してください。
しまいには母からもらったお年玉を財布から抜き出して、
こんなもん、いらんわっっ
と、母に向かって叩き付けるのでした。さすがに母も血相を変えました。
チビにつかみかかるのではないか、と思ったくらい。
*
という、修羅場っぽいことがあったのですよ。
で、私は泣きながら母に対して、あんなこと言われた、こんな仕打ちされた、どれだけ私は傷ついたか、
どれだけ否定され続けてきたか、という恨みつらみを口から発していたのでした。
もう、とまらなかったですね。まさに暴言です。といっても15分くらいだったかな。
サイバラなみに2時間やってたら区切りのいいとこまでたどりつけたのかもしれないけど、
後の予定があって途中で打ち切ったので、たいへん気まずいまま終わってしまいました。
その後、母からはすさまじい怒りの手紙が来ましたが。
でも、私はたいへんスッキリしましてですね、母に認められなかった自分、愛されなかった自分、という
自分の劣等感、自信なさの根っこがなくなった感じがしたのですよ。もう、ええわ、って感じ。
脱・自分嫌い病をまた一歩進めることができた、と実感できました。
親から与えて欲しくてそれがかなえられなかったものは、
たとえ他の人からそれ以上のものをもらったとしてもなかなか埋めることが出来ません。
親から欲しかったものは親からしかもらえないのです。
それが欲しくて、欲しくて、この年になるまで欲しくて。手に入らないことに対して、また自分にダメ出しをして。
欲しかったものは手に入りませんでしたが、それが得られなかったことで傷ついていた感情を外に出せたことで、
手に入らなかったものへの執着がなくなりました。完了したのです。
未完了の感情というのは、しつこく後ろ髪を引っ張ります。ここぞ、という時に先に進ませてくれません。
だから感情というのは感じきることが必要なのです。
感じきるためには、言いたかった言葉を出すこと。流したかった涙を流すこと。フタをして抑えていたものを外に出すこと。
抱え続けてきた荷物を手放したあとは、身も心も軽くなっていることにびっくりされることでしょう。
あなたに口止めをくらわせているもの、それを取り除かせていただきますよ。さあ、予約、予約っ(こらーっ。