ほんとはこれ、昨日あげたかったんですよねー。でも時間がなくて。これは震災の記事と同じく、毎年母の日に再掲したいですね。
母にならない人はいても、母のいない人は居ません。母が産んだからこそ生まれてきているのです。人は必ず誰かの子どもなのです。自分を産んだ人が自分が望んだものではなかったとしても。
- 作者: 森下裕美
- 出版社/メーカー: 双葉社
- 発売日: 2009/03/12
- メディア: コミック
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『あいの探偵』というお話です。キャバ嬢のアリサちゃんはお客さんを好きになってしまいます。うまいこと交際が進んで、さ、結婚だ、というところまで持ち込むことができました。アリサちゃんは親が育児放棄したため、養護施設で育ちました。家族への憧れが人1倍強いです。だからこそ選んだ結婚相手なのですが、自分にいろいろ出来ないことがあるということがたいへん引け目でした。
お母さんて遊び教えてくれたりするもんなんや
一人暮らしするまで冷蔵庫の使い方しらんかってん
ガスの火のつけ方から教えてもらうわ
養護施設で育った子って猫舌が多いんですって。なぜかというと、調理室で大量に作られた料理はいざ食べる時には冷めています、できたてのホヤホヤの味を知らないからなんですって。
家事手伝いって言葉はいまや死語でしょうか。家事を手伝うことによって習得できることってありますよね。社会で学ぶものではなく、家庭において学ぶこと、教えられるべきことってありますよね。
私の定義するところのACは、本来なら家庭で習得すべきこと、親から人として当たり前に仕込まれることが仕込まれていない子、そしてそれを己の欠点、欠落感として抱いている人種、なんです。あくまで私の定義ですけどね。
私のキライな用語を使うなら、機能不全家庭で育った子、ですけど、家庭の機能って子どもを育てあげること、独り立ち出来るようにすることですよね。機能不全家族で育つしかなかった子は、まっとうに機能している家庭で育った子が当たり前にできることができなかったりします。
しつこいけど、家庭で仕込まれるはずだったもの、仕込まれそこねたものって、他で習得する機会がなかなかないです。ヘタすりゃ、自分がそれ仕込まれてない、ってことに一生気づかなかったりもします。気づかなくて済んだら幸せなのですが、人生なかなかそういうわけにもいきません。社会にでたら、集団の中に放り込まれたら気づかされてしまいます、自分に欠落しているものがあることに。
ACの方が最初に気づいた時に思うこと、『ウチってよそとは違うんだ』。よそのお父さんは暴れたりしないんだ。よそのお母さんはちゃんと洗濯してくれるんだ。よその子は当たり前に遠足いけるんだ。
よそと違う自分を恥じてしまいます。隠さなきゃ、と思ってしまいます。そして、自分が出せなくなります。
で、仕込まれなかったことって出来なくて当たり前なんですけど、人は出来るのに自分が出来ないことについて、またダメ出しをしちゃいます。勉強とか仕事は頑張れば出来るようになりますが、冷蔵庫の使い方を知らない子は、それを知らないと言うこと自体が難しいです。うん、知らない、出来ない、って言えないんですよ。だから出来るようにもならない。
この、出来ない、知らないことへの劣等感、できる人、知ってる人にはおわかりいただけないでしょう。そんなしょーもないことで悩むなんて、って思われることでしょう。
ことさら自分が悲惨な家庭で育ったと主張するわけではありませんが、ちゃんと機能している家庭で育った方が当たり前にできていることで自分ができなくて恥ずかしいこと、出来ない・知らないと言えないこと、いまだにあります。これっていざという時にすごいブレーキになるんですよね。
出来ないんだったら出来るようにすればいいじゃないか、というのは正論です。へなちょこは出来るようになることに一歩を踏出すこともなかなか出来ないんですよ。
一歩を踏出せないへなちょこの辛さ、私はよーくわかります。
だから私はヨシヨシしたいのです。一歩を踏出せるようになるためには、なによりヨシヨシが必要だと思っているのです。
あなたがおかあさんから欲しかったものと同じもの、私にはあげることはできません。でも、欲しかったよね、と受けとめてあげることはできます。っつか、それしか出来ません。
欲しかったよね、貰えなかった自分はダメだと思っちゃったよね。
ヨシヨシ。
あなたがおかあさんから欲しかったもの、あなたの子どもにあげてください。あなたがおかあさんにあげたいもの、自分で獲得してください。そのことによって、おかあさんによって作られてしまったあなたの穴ぼこは埋めることが出来ます。
特別な力もなく魔法も使えない私ができること、それはあなたに寄り添うことだけです。ヨシヨシ。