心が折れそうになったときはこれを読み返します。私のバイブルです。
長いけど、今回目にひっかかったところの引用。
「そうなんだよね。シーツを汚しちゃっても、こっちに任せきってくれるひとに対しては、いやだと思わないし、援助することに充実感もある。それはお互い幸せな介護なのよ。」と、美恵さんは言う。
「でも、じたばたされると困っちゃう。羞恥心もあるでしょうし、自分で自分が情けなくて悲しいのだと思う。気の毒だと思う。けれど、粗相したものを『さわるなー』って怒鳴られたり、『あんたが急ぐから失敗したんだ』と抵抗されたり。シーツを捨てられたり隠されたりすると、こちらが消耗するのよ」
きっと介護経験者なら誰でも思うことだろう。
「だからね、ゆだねてくれるひとがいいよね。迷惑をかけまいなんてがんばらないほうがいい。恐縮なんてしないこと。『喜んで世話になる生き方がある』という思いを選べたら幸せになれると思う。」
障害を持ったときに介護者に任せ切れるか、そのときに、そのひとの強さが問われるのではないか。その障害によっても、自分の尊厳が微動だにしないと思えるか、また介護者もそのような思いを持って相手と向きあえるか、そのお互いの志が問われるのだ。
なんかこれがね、うまくいく人といかない人の違いの参考になるような気がしたんですよ。
ほんと、ずーっと考えてます、うまくいく人といかない人の違い。
では逆に。
親を恨めない人は不幸せです。
だってその人には自分を責める罪悪感しかないから。
親の仕打ちを責めることなく、自分が悪い子だったせいだ、って自らを責め続けているから。親のあらゆる不都合を自分のせいだ、って思ってるから。
大丈夫、大丈夫、あなたにそんなすごい力ありませんwww
親のせいにする、ということに強い抵抗を感じられる方がたいへん多いです。親ももう年なのに、とか、親も頑張ってたから、とか、親もたいへんだったから、とか。
親の仕打ちにいかに傷ついていたか、と認めることは親を批難することではないのです。
傷つかなくていいんです
あくまで、親の仕打ちに傷ついたちっちゃいちゃんをヨシヨシするだけなのです。ここ、いっしょくたにされてる方がたいへん多いです!!
親を恨める人はいいんです、傷ついた自分に気持ちを傾けてあげられるから。そのかわりに、責めてしまっている、という罪悪感を抱きがちなんですけどね。
親のせいにしていいんです。何もないのに勝手に自分がダメ人間だって思うはずないのだから。外からの何らかの作用があったからこそそう思って、いえ、思わされてしまったのだから。
ちっちゃいちゃんを罪悪感から救うためにも、親を恨んでください。親のせいにしてください。そして「自分はダメだから」というビリーフによって生み出されているあらゆる不本意な状況から、ご自分を救い出してあげてください。
親へのフォローはその後です。
「親のせい」であなたにどんなビリーフが植え付けられてしまっているのか、見つけるお手伝いさせていただきます。