卒業式いってきましたー。うわーん、泣いた、泣いた。こんなダメ母のもとでよくぞここまで大きくなってくれた。子どもがいるから、ってことがこれからは一切言い訳にできないよ。
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というわけで(どういうわけ?)、離婚直後に食い詰めていた時、私に占い師になることをすすめたベテラン占星術師のNさんにはたいへんお世話になってたんですよね。占いにがっつり相談したのって、あの時が最初で最後ではなかったでしょうか。ほんと、溺れる者は藁をも掴む、ですよ。
育児と仕事の両立がどないもならん、Nさんからの提案はチビを富山の母に預けろ、でした、一緒に住んでいてはいけない、と。あなたに仕事と育児の両方は無理だ、と。
いや、それこそ無理ですよ、とても受け入れられる案ではありません!富山に行くならチビと一緒に、ですが、神戸を引き払うことも考えられません。
当時のジレンマ、周囲からのアドバイス(?)は、子どもが可哀想とか温いこと言ってないで稼いでこいよ、か、もしくは、子どもを置いていくなんて可哀想よ、一緒に居てやりなさい、のどちらかでした。
前者は親とか子どもを見てくれる人が身近にいる人の発言でした。後者は稼がなくてもいい人の発言でした。
もーっっっっっっっっっ!!!!!
どっちの意見も私とは立場が違うのですよ。私は子どもを見てくれる人がいなくて、なおかつ稼がなくてはいけなかったのです。誰の意見も何の救いにもなりません。私は誰と関わるのもイヤになってしまって、アドレスも変え、半年くらい連絡を絶っていましたよ。
で、頼りになるのはNさんだけです、Nさんには事あるごとに相談をしていました。仕事を選ぶ際も、候補をいくつか出してどれがいいか、と決めてもらいました。彼女から絶賛大ゴーサインが出たのが某市民病院のカルテ管理室だったのですが。
が。
そこに勤務している間にチビがおかしくなりました、ゴハン食べなくなりました。そしてある日、勤務が早く終わりそうだから病院までチビを来させて、帰りに一緒にゴハン食べてかえろ、と計画したのです。
が。
その日に限って残業となり、病院に着いているであろうチビとも連絡がとれず、定時を3時間すぎて待ち合わせのロビーに行くと、照明がすべて消されて真っ暗な中にひとり居たチビでした。
その光景をみて、ポッキリと折れてしまったのです。もう無理、がんばれない、と。病院は辞めました。
辞めたことをNさんに伝えたら、そうかー、おすすめの職場やったんやけどね、あんたの選択やからな、しゃーないな、と。
ひょっとしてその病院に勤め続けていたらNさんの言う通りにごっついいいことがあったかもしれません。でも私にはそこで勤務し続けることは出来なかったのです。
結局、Nさんから提示された案はどれも私には受け入れられないものでした。Nさんの占いの結果は私を助けてはくれなかったのです。
当時の私を救ってくれるものがあったとしたなら、それはチビを見てくれる人だけだったでしょう。もしくは生活を経済的に支えてくれる人www
続く。
予告:次のネタはまたまたココナラのネタだよー。