- 作者: チャック・スペザーノ,大空夢湧子
- 出版社/メーカー: ヴォイス
- 発売日: 2000/01/01
- メディア: 単行本
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その人の人生に存在するストーリー。
通常自分についてのネガティブな観念を埋め合わせようとする補償行為。
by チャック・スペザーノ
役割と似てるとこあるんですけど、役割と違うのはやってるのは正しいことばっか、ってとこなんです。
関係性における役割には、損な役割、悪役とかってのもありますよね。でも個人の神話は、誰もが認めるいい役どころなんです。こうあらねばいけない、という世間からの評価を得やすいものなのです。なのでそれをやることに否定的なものがなかなか出てきません。
正しいことを間違った動機でやる、という困ったものがありますが、その最たるものがこの個人の神話だったりしますね。
たとえば。
何かコンプレックスがあったとします。自分には何かが足りない、という欠落感です。その欠落感を埋めるために(とは自覚してないんですけど)他の何かをします。本来の足らずの部分ではなし得なかったことが出来るようになったとします。
やったー!できたー!人の役に立てるようになったー!
などと喜んでいますが。周囲から評価も得られていますが。
が。
もともとのコンプレックス、欠落感の痛みはどうなってますか?
これがですね、得たもので持っていなかったことの痛みは相殺できない、ってことなんですよ。
弁護士になりたかったとします。なりたいけどどうにも司法試験に合格することが出来ません。あきらめて司法書士になりました。司法書士として成功できました。仕事の評価も自負もあります。
でも。
弁護士になれなかったもん、ってとこから自由になれません。いくら司法書士として成功できても満足できないのです。弁護士になれなかったダメな自分、というところから自由になれませなん。
じゃあ、そもそもなんで弁護士になりたかったのよ?です。
逆のパターンです。
美空ひばりも吉永小百合も、芸能界に入ったきっかけは生活のためでした。食っていくため、家族を養うための手段だったのです。芸能人になることこそが目標という人にとっては羨ましい話ですよね。
いくら成功しても、食う為に仕方なくやってたんだ、という意識がなかなか拭えません。自分がなし得た歌や演技での地位に居心地が悪いのです。なんか違う、ここではない。芸能人とかじゃなくて、フツーの奥さんをやりたい。よし、結婚しよう!と結婚します。
が。
なかなか幸せな結婚生活を手にすることが出来ません。なぜなら、せっかく手にした芸能界での成果を認めることが出来てないからです。自分が築いたものを認めることが出来てないのです:自分を否定してるのです。
あいたたたー、ここまで書いてきて当初書きたかったものとはすでに大いにベクトルが違ってきていることに気づいてしまいましたよっ。仕方がない、無理矢理まとめます。
今ある状況に不満、欠落感があってそれの埋め合わせとなるもの、それ以上に何かが得られるものを目指すとしましょう。そしてそれを得ることが出来たとしましょう。でもそれは、足りてなかった自分、というものの上に成り立っているのです。そのままの自分ではダメだったのです。このままではダメだ、という痛みがあったからこそ、別のものを掴みにいったのです。
頑張って掴めたらめでたし、めでたし、なんですが、ダメだった頃の劣等感ってのはそう簡単に消えまえん。心の奥底で、そのままではダメな自分、というのを引きずっています。それがあると、新たに手にしたもので何かを掴みにいくということに必ずどっかでぶつかります、進みにくくなります。
足りてなくてダメな自分、という穴ぼこに寄り添っていただきたいのですよ。それをせずに穴にフタをしてその上に物を積み重ねていってもグラつくのです、ぶれるのです。
新たなことに一歩を踏出す前に、まずは向きあっていただいきたいのです、なぜ今のままの自分ではダメだと思ってしまったのか、と。何が足りなかったのか、ほんとは何で埋めたかったのか。それに向きあうことによって、あなたが今から新たに掴みにいくものに必然性が増します。一歩を踏出した後でぶれる恐れはなくなるでしょう。
ダメな自分にフタをしたままで、今よりもっといい自分、というのを演じるのってしんどいですよ。そう、長く売れなかった俳優が大ブレイクしてから、赤貧時代の過去を引っ張り出されて困ってしまう、ってカンジですね。売れなくてせつなかった時代、それもあなたの大切な一部です、無かったことになんてしないでくださいね。
※なんかうまくまとめられなかった、というカンジを拭いきれないまま終わりにしてしまう私を許してください。
いかん、いかん、ちゃんとまとめよう。
前者の司法書士のケース、これは目指すものにたどり着けなかった、という欠落感になります。後者の芸能人、これは本意でなく始めてしまった、という負い目がせっかく得た成功を認めさせなくしまっています。前者はですね、弁護士を目指した理由が痛みの原因なんです、後者は生活のために、と自分が身を呈した痛みなんです。なんせ根っ子は痛みなんです。それを無視しては心からの成果には繋がらないよ、ってことなんです。
目標になかなかたどり着けない、という方は、本来の自分では足りなかった何かを役割によって補おうとしている方が多いですね。痛みに向きあうことをすっとばして埋めることばかりに気持ちが向いてしまっているというか。素の自分ではできなかったことを、役割という鎧を着込む事によって果たそうとしているというか。
いいかしらー、これでいいかしらー、まとまったかしらー。