ツイートにも書きましたけど、選択の根拠を直感とされる方、もとい、直感で選んだ、とおっしゃる方に傾向としてあるのは、自分が感じたこと、思ったことを言葉で説明する手間ひまを惜しんでる、ってとこなんです。語彙がない、ということも無きにしろ非ず、です(スイマセン、スイマセン。
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言葉にしないと伝わらないんですよ。「直感で選んだ」ということが説得力を持つのは、あなたの言うことなら信用できる、という関係が既に出来上がっている場合のみです。
たしかに直感、インスピレーション、潜在意識からのメッセージではあるんですけど、それはたまたまやってきたものではなくてあなたの中から必要な時に必然としてあがってきたものなのですよ。どんな価値観、どんなセンスがあるかということは言語化することではっきりします。自分の中にそういうリソースがある、と自覚することができるって有用なことです。
たとえばですね、自分が走るのが速いという自覚がないとしましょう。でも、速いんです。競走したらいつも一番なんです。たまたまだよ、とか、一緒に走った人が遅かっただけだよ、と思っていては走る速さを自分のリソースとは思えていません。レースに出てみないか?と誘われても、いえ、ボクなんて、と断ってしまいます。
でも、走る速さを自分の能力だと認めることができたなら。
レースのお誘いを断るなんてしません、自らチャンスを求めにいくことが出来るようにもなります。そう、自分で選択できるんですよ。リソースを認めるということは、選択の基準を自分で持てるってことなんですよね。
直感で、と言ってしまうのは選択の基準としてはイマイチフルイチ頼りないのですよ。自分にとっても、他者にとっても。なので、たしかに直感は発動したけど、直感の結果として何を選択したのか、ということがはっきりするといいですよね。
またまたいい例がありました。
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「片付けを楽しんでどんどんきづこう」という項のあと、「気づける人は生き残る」というところで
気づきというと、頭の中であれこれこねまわしている理屈っぽい人特有のものだと思うかもしれません。でも、そもそも気づきとは、生命体としての根幹に関わることなのです。
腐ったものを食べてお腹を壊してしまうのも、ぬかるみに足を取られて転んでしまうのも、もとはと言えば気づきが弱かったから。あらゆる危険から身を守るために、気づきは絶対に必要なのです。
こうした気づきは、よく「動物的な勘」と表現されます。
何を気づいたのか、何をきっかけに気づいたのか、それを法則化・言語化することによって他者と共有できるようになります。あなたのリソースが、人の役に立つようになるのですよ。
もちろん、自分でも再生可能となります。1回こっきりの僥倖ではなくて、その恩恵を何度も得ることが出来るようになるのですよ。勘が働くこと、直感で決められるってのはすばらしいことです。でも、それを他者のために言語化する手間ひまを惜しまないでくださいねー。