昨日の検索結果の一部です。
「ヨシヨシ 癒す頻度」とありますね。これと同じニュアンスのこと、口頭でもよく尋ねられます。何回ヨシヨシしたらいいんですか?とかって。
いやいやいやいや、そうじゃなくて
「ねばならない」でガチガチになっていらっしゃる方には、ヨシヨシすらも「しなければならないもの」になってしまっているんですね。そして、上手にしなくてはならない、と思っていらっしゃる。
これまでのご自身が、いかに「ねばならない」に雁字搦めになっていたかをまだ実感されてないです。
頭ではわかっているけど腑に落とせないこと、これ、ほんと難しいですね。考えるな、感じろ、と言ったってそれこそ、感じろと言われて感じられますか、考えるなと言われて考えられますか、ですもんねー。
ご自分のちっちゃいちゃんがいかにカワイソだったか、辛い思いをしていたちっちゃいちゃんを愛おしく思う気持ち、それがなかなかやってこない方は怒りが邪魔になってることが多いですね。怒りが出し切れていません。積もり積もった怒りの下の層にいとしい、せつない、といった感情が埋もれています。
出せない気持ちを出すにはどうすればいいか、手っ取り早いのは塩を塗ること。
みなさんご存知のように(知らんか)私はマゾだと評されることが非常に多く、いったい私の何がマゾなのよ!とたいへん不本意に思っているのですが、ま、自分で自分に塩を塗るという行為を厭わないとこなどはマゾと評されても仕方ないかなー、と。でもそれは、膿を出し切るためなんですけどね。
頭でわかっていることと腑に落とすことはまったく違う、これ、腑に落とせた方はわかっていただけると思いますが、落とせてない方にとっては、じゃあどうやったら落とせるのよ!とたいへんもどかしいものがあるでしょうね。
落とせと言われて落とせるなら警察いらんやんね!!しみ込むまでに時間がかかります、少しでもしみ込ませるための働きかけはさせていただけます。働きかけ続けさせていただきます。お願いですから焦らないでください、ちっちゃいちゃんはまだ、ひとりで立ちたくないよ、立てないよ、と言っているのです。
では恒例余談というか自分語りです。好みではない、という方はここでブラウザの戻るボタンを押してください。
先日の土曜の夜あまり心地よくないことが続いて、ほんとにもー!という気持ちがてんこ盛りだったのですよ。イライラモヤモヤをどうにもできない私が夜更けに足を向けたのは元配のスタジオでした。こういうことをするのがマゾってんですかね。やってしまうということはまだ痛みがあるからですよね。
ヒサシぶりに行ってみたら、新たな借り手がついていてすでに営業を開始していることがわかりました。
え、なんだ、借り手ついたんだ、というがっかり感がやってきたことに驚きました。閉店して数年、とある音楽家さんの活動拠点として使われ出したって時は嬉しかったのですよねー。オープニングレセプションにはチビと一緒に行って、数年ぶりに足を踏み入れて、まったく変わっていない内装に驚いて、チビがちっちゃい時に遊んでいたフィギュアがそのまんまの場所に置きっぱなしで。よかった、よかった、スタジオはちゃんと本来の用途として使われているよ、と何かひとつ終わることができた感があったのですが。
今回、新たに営業を始めたスタジオのサイトをのぞいてですね、スタジオ内光景の画像に半端なく揺さぶられまして。何も変わっていない、棚の塗装の色もそのまんま、床も張り替えてないから昔あった傷がそのまま残っている。湧いてきた感情をどうにもできませんでした。
どうして喜べないんだろ、どうしてがっかりしてるんだろ、と考えまして思い出したこと。スタジオの家賃、ごっつい高かったんですよね。それが元配が死んだ後は、ま、事故物件ですからとんでもない低家賃で貸しに出されたのですよ。いっそ自分が借りて何かしようかと思ったくらい。あんなにお金かけたスタジオなのにこんな安い家賃で、って腹が立ったのですよ。その時の気持ちが生々しく再現されました。
そうか、悔しかったよな、なんで悔しかったのかな、と考えたら、報われなかった元配、彼が思いを果たせなかったことへのせつなさがやってきました。彼に対して、どうにかしてあげたい、と思っていたことを思い出しました。そう、見てられなかったなー、だからどうにかしたかったなー。彼がカワイソウ、ではなくて、それをどうにも出来なかった自分の無力感です。
元配が逝ってからの私の感情の変遷はですね
直後:スタジオの借金どうしよう!
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こんなことやらかしてくれて!という怒り
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私のせいで、という罪悪感
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バカな選択をした、という自責
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チビが居るのは産ませてくれたおかげ
ま、これをずーっとグルグルとしていた10年間でした。
しかしスタジオが人手に渡ったことへのがっかり感に、そうか、ここは私にとっても大切な場だったのだな、それは私の大切な人にとって大切な場だったからなのだな、と行き着きまして。ここにたどり着くのに10年かかりました。
いつも言ってることですが、みなさんほんと自分のダメージ軽く思いすぎ。しんどさから逃れるためとは百も承知ですが、癒えていない傷にフタをして平気なフリをしても終わらないのですよ。
フタをしてないつもりだったけど、フタで隠されていたものの大きさは衝撃でしたね。私でさえ10年かかりました、言わんや、私以上の思いをされている方は、です。ヨシヨシの作業はしんどいですか?早く終わりたいですね、でもまだまだ「痛かったよね」と寄り添うことが必要なのですよ。
お金をかけるわけでも、厳しい修行が必要とされるわけでもありません、ただ「〜だったよね」と受けとめるだけでいいのです。ほんと、これだけなんです。