欲しかったものの正体がわかったよ

捨てるに捨てられなかった写真、処分することにしました。

さ、長いですよ。

みなさんご存知のように(知らんか)宝くじ当てまくってたのに当てられなくなってしまったのは、欲しかったものの正体がわかってしまったからでした。ビルを建てることが夢でした、その夢を叶えるために宝くじを当てようと風水がんばってたんですが、ビルが意味するところに気づいてしまったがためにビルを建てること、宝くじを当たることへのモチベーションを失ってしまったのです。

そ、私にとってビルを建てることは手段、本当に欲しかったもの、ビルの先にあるもの=メタは「家」でした。自分がそんなものを欲していたというのは衝撃で、欲するということは欠落しているからで、家や家庭というものから本来得られるはずのものがまったく自分にはないということはずっと強力なコンプレックスでした。

みなさんご存(ry)、私にはいまだにどうにも解決できない問題があって、自分の問題が解決できないのに人の問題が解決できるのか、と突っ込まれても仕方ないのですが、だってさー、私はあなたにセッションを提供するから問題解決させてもらえるけど、私にしてくれる人はいないんだもん、って思ってました。自分がもう1人いたらいいのにな、とずーっと思ってました。

そんな私が(どんな?)困った時に泣きつく人が何人かいるんですけど、迷走する私を見るに見かねて言葉をかけてくれたりアメやムチの指導をしてくださるのです。受け取れとか許せとか言われるんですけどね!自分ではどうにも出来ませんねんっ。

ここんとこ強烈に首しめられてまして、どうにもできんのですわ。もうこれ、ほんまになんか言われてるな、って感じなのです。サイコロ振っても、いい卦しか出ないってのがまた悩ましく。状態が悪いのにいい卦やいいカードが出る時って、自分をきちんと認められてないってシルシなんですよね。

万策つきて(いや、つきたというほどやってないんだけどね)泣きついたところ、とあるブログを読めと紹介されました。これを読んで痛みを感じる人は、受け取ることに恐れがあるんです、みたいなこと書いてありました。

特に何も感じませんでした。まあ、そうだろな、ぐらいで。でもわざわざ読めと指定してきたということは何か気づかなきゃいけないんだろ。何度も読み返しているうちに思い出したことがありました。

小学校の低学年くらい、母と2人で縁日にでかけています。サラダ油がカエルのビニール人形をおまけに売られていました。私はそのカエルが欲しかったのです。母に尋ねました、「なんでもかんでも欲しがるのと、欲しいもの我慢してばっかりなのとどっちが困る?」と。どっちも困るね、ほどほどがいいね、と言われたように記憶しています。カエルを買ってもらったかどうかは覚えてません。

思い出してみて、なんでそんなこと尋ねたんだろうな、と不思議に感じました。母の財布の中身を心配してるんだよな。なんで心配するんだ?いや、心配してるんじゃない、買って貰えないって思ってるんだ。ここから記憶のリフレーミングが始まりました。

セッションで、みなさんが記憶しているものが私にはまったく異なる光景に見えることがよくあります。やさしいと思ってたおとうさんはただの暴君だった、みたいなね。自分の記憶に対してもそれが起こりました。あれ、なんか思ってたのと違うよ、と。

やりたいことやれてる、言いたいこと言えてると思ってらっしゃる方が実はものすごく限られた選択肢の中でしかできてなかったって事例が非常に多いですが、私こそがまさにそうだったということに超遅まきながら気づけましてね!!頭の中にあったいろんなものがガラガラと音をたてて崩れていきましたよっ。

なんだー、私ってばちっともやりたいこと出来てなかったんだ、欲しいもの手に入ってなかったんだ。っつか、私こそが「やりたいことがわからない病」だよっ。わかってないことにさえ気づけてなかったということで、超重篤患者だよ。痛みにフタをすると、気づかせようと更なる痛みを感じされるものがやってくる、だから痛みをちゃんと感じましょう、っていつも口を酸っぱくして言ってるのに、いったいどの口が言うか!ってカンジですよねー。自分を晒すことはさんざんやってるので、感じられてるつもりだったんですよ、フタなんかしてないつもりだったんですよ。

セッションではどう感じていたのか、ほんとに欲しかったものは何だったのか、ということを実にしつこくお尋ねしますけど、それは腑に落とすというか、穴ぼこにフィットする言葉、表現を見つけるためなんですね。

自分は何を感じていたのか、欲しかったのは何か、自問自答を続けましたけどどうにもしっくりするものがやってきません。が、たまたま手にとった本にその答えがありました。

解夏(げげ)

解夏(げげ)

「サクラサク」というお話がありました。

仕事一筋に生きてきた主人公・俊介(緒形直人)。だが父親(藤竜也)が認知症を発症したことをきっかけに、これまで避けてきた“家族”と向き合わざるを得なくなる。そこで俊介が見たものは、崩壊寸前の冷え切った家族の姿だった。すべてに背を向け続ける妻(南果歩)。何を考えているか分からない子供達。そして次第に薄れゆく父の記憶。そんな父が、日々曖昧になる過去と現実の狭間でつぶやく。
「春、満開の桜が美しかった…」
俊介は父の頼りない記憶と言葉を胸に、強引に初めての家族旅行を決行する。その旅が父のためなのか、家族の再生のためなのか、俊介自身もまだ知らずにいた――。
AmazonのサクラサクのDVDの解説より

自分を失って粗相をしてしまった父を放置していた妻、父は妻を責めることなく自分の粗相を謝罪したのです。そして息子をまったく褒めない、責めるばかりの自分に対して父が「お前は大介を褒めたことがあるのか」と穏やかに叱責したことを思い出して

なぜ父はあの日、非情な態度を示した昭子に謝罪したのだろうか。なぜ、昭子を許したのだろうか。あの時には分からなかった。それがやっと分かった。
父は昭子ではなく、俊介を許したのだ。昭子を選んだ俊介を許したのだ。

これがどうにも理解できませんで。俊介が昭子を妻に迎えたことを許したのか?昭子は望まれてなかったのか?許すの反対は責める、父は何を責めていたのか?何度読んでもわかりません、ここだけ読んでもわからないのでお話全体を通しで何度も読み返すということもしました。

昭子を選んだとはどういうことか。

自分がやらかした不貞の腹いせに背を向け続ける昭子、父親にひどい仕打ちをしたことについても昭子に怒れません。父は息子が嫁に怒らなかったということを責めずに許した、ということか。

目的もなしにいきなり始まった家族旅行、途中で目的が定まりました、父の幼い頃の幸せの象徴であった家を見つけること。その旅は父のためでもあり家族の再生のためでもありました。家族に向き合ってこなかった、と自分を責めている息子、そのせいで嫁は義父を大切に扱うということをしなくなった。その嫁を責めないということは、原因を作った自分を責めているということ。そっか、父が許したのは自分を責めている息子なんだ。

父親がいることによって、俊介はずっと息子のままだったのでしょう。自分自身が父親になり夫になるということより息子でいることのほうが比重が重かったようです。父は息子を縛っていたつもりは当然ないでしょうけれど、息子が自分から卒業することを許した、もとい、息子に父から卒業する許可を自分自身に与えなさい、と示したのではないかなー、と。

父親の育った白い家の痕跡を見つけ、離れ離れだった家族はようやくひとつにまとまることが出来ました。

第2子、第3子を望む方がよく「ひとりっこは寂しいから」と言われますが、当のひとりっことしてはそれしか知らないから寂しいとか思わないのですよ。もともといたものを失くしてしまったなら欠落感があるでしょうけれどね。仲良し兄弟姉妹を見て多少は羨ましく思うことはあるかもしれませんけどね。

みなさんご存知のように(知らんか)私は親と生活を共にしたことがありません。特に父親のほうはまったくなので、家庭における父親の存在意義というものがわかっていません。結婚する時に、これはまずいのでは、と危惧していた通りになりました。私の無力感の根っこは祖父からボコにされていた祖母を救えなかったというものですが、暴力のほうにばかり目が向いて、親がいないということはスルーされてたようです。

サクラサクを読了してやってきたのは、「おとうさんとおかあさんがいる家」でした。私が欲しかったのは、おとうさんとおかあさんでした。家というのはおとうさんがいておかあさんがいて子供がいて、それが家なんだ。私が欲しかったのはそれなんだ。

実にフィットしました。腑に落ちました。

友人宅にお邪魔して、そこんちの家族団欒光景を見るといつも「ホームドラマみたいで気持ちわるい」と感じていました。自分が体験したことないもの、それはその場で自分がどう振る舞えばいいかまったくわからないものでした。

おとうさんとおかあさんが居る家、これはもう今世では手に入りませんやんね、まさに来世の課題ですわ。おとうさんやおかあさんから手をかけられている同級生の姿に指をくわえていた小さい自分、妬み嫉みの炎が燃え上がってましたよっ。私がやたらと人を羨ましがる根っこはここか、と理解できました。おとうさんやおかあさんにして貰ったことを屈託なく自慢している姿は垂涎でしかありませんでした。いらんことすぐに自慢したがるのはこれか、とも納得できました。

愛情乞食の姿がはっきりしました。ちっちゃいちゃんのことカワイソがってあげてくださいね、とも常々うるさく言ってますが、自分のことカワイソがってたつもりでしたが、「おとうさんとおかあさんが居る家」とつぶやいた時の(ない)胸の痛みを思うと、ほんとに痛いとこにフタしてたんだな、とわかりました。

セッション事例でご紹介しているように、問題の根っこというのは祖父母の代、さらにそれより古くまで遡ることが多いです。家族の歴史をたどるということは、あなたの目の前の問題の因果をはっきりさせることに他ならないのです。私が「おとうさんとおかあさんの居る家」を手にすることができなかったのはなぜか。当然それは祖父母の代にまで遡ることです。

私が自分自身の問題を解決するためにも、そして自分の問題なんてたいしたことないんだと思っているあたなのためにも、かようにしてヘタレでダメポな人間が出来上がっていくのだ、という事例として愛情乞食の続きをあげていきます。写真を処分する前にね。さ、次からはしばらくこっちに書いていきます。これを書き上げないと、先に進めないカンジ。これでもかって自分晒しが炸裂する予感www

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