つっかえているものがあると、なかなか先に進めません。
あきらめて(何を?)、つっかえてるものを出すことにしました。
みなさんご存じのように(知らんか?)
私は この時 から母と縁を切ったのです。
切ったつもりだったのです。
死んでると思ってました。
甘かった。
いくらなんでも、死んだら連絡くるよね。
連絡ないってことは、生きてるってことなんですよね。
ある日、帰宅したら電報の不在配達届けがありました。
無視しました(こら、こらっ。
どうせ富山からだ、なにかあったら電話かけてくるだろうし、ほんまに逼迫したことだったらまた連絡くるだろう、と。
宅急便って不在連絡にレスしなかったら催促くるじゃないですか。電報ってこないんですよー。
おかあさん、私のあの電報、どうしたんでしょうね(ママ〜、ドゥユリメンバ〜♪)。
その後音沙汰ないので、電報のことは忘れました(忘れようとしました。
ある日、ピンポンが鳴りました。
玄関のドアを開けたら、そこにいたのはもう何年も会ってない従兄弟夫妻。
和恵ちゃんとどうにも連絡とれんがいかったから(高岡弁
おねえちゃん(従兄弟は母のことを”おねえちゃん”と呼ぶ)脳梗塞で入院しとるがいぜ(高岡弁
ぼくらではどうにもできんがいね(高岡弁
和恵ちゃんじゃないと、あかんがいぜ(高岡弁
と、この後、かなりの字数を費やしたのですが、削除しました。
つまり、私は母の脳梗塞のなんやかんやでいっぱいいっぱいになっていたのです。
8月から富山も何回か往復しました。
役所や保険会社や病院や家庭裁判所や、とあちこち行って、書類つくって。
ま、その作業そのものはそう時間をとられるものでもなかったのですが、とにかくまいりましたねー。
もう終わったもだと思っていた母と向き合わされてですね。
鬱ってなったことないけど、これが鬱かな、と思うくらい何もする気がせず、何もない日は朝からお酒のんでました。
倒れたときに運び込まれた病院を、先日ようやく退院できて、リハビリ施設に転院しました。
いろんな思いが(ない)胸を去来しましてね、これはブログに書かなくちゃ!とそのときは思うのですが、どうにも書けません。
私と同じように、母親となんやかんやある人のきっと参考になるだろうな、と思いながらも書けません。
それはそれは、いろんな思いがやってきます。
それが重すぎて動けないのでしょうね。
まー、母のことを書けなかったのはですね、こうも私の状態が悪いとわかると、セッションを申し込んでくださる方が途切れるのではないかと心配でしてね!
だって仕事しないとおマンマの食い上げになりますからねっ。
仕事はちゃんとやってますからね!!
ブログを書くことだって仕事のうちですが、どうにも書けません。
困った、困った、こまどり姉妹。
Facebookにどうでもいいことを吐き出すくらいはできるのですが。
ちゃんとしたことをお伝えせねば、と思うと書けません。
小田嶋センセのとこにいったら気合がはいるかな、と期待したけどダメでした。
うまく書こうと思うからダメなのだな!!
ただのボヤキの垂れ流しになる恐れ極大ですが、お目汚しになった場合はどうかご容赦のほどよろしくお願いいたします。