先日、1泊2日の駆け足で東京に行ってまいりました。
みなさんご存知のように(知らんか)私はオダジマンこと小田嶋隆先生(敬称つき)の熱烈信者であります。先生の著作は私のバイブル、聖典!!
先生の著作はすべて初版本で所有してましたが、終活処分の結果、手元に残しているのはこの3冊だけ。
小田嶋センセの文章講座に参加してきたのです。
https://twitter.com/kotobakobato/status/925361461412601857
※最後尾左側が私です
東京では隙間時間でセッションもさせていただけました。お会いした方に(ちなみに文章修行をされている方)、ブログのブラッシュアップために受講されたのですか?と尋ねられましてですね。
常々申しておりますように、セッションで姿を現わすちっちゃいちゃんの物語、それはせつない、愛おしいものなのですよ!自分のことをかわいそがれない、ヨシヨシできないという方に、このちっちゃいちゃんの姿を見ても、あんたまだ泣けんというんかい!とつきつけたくなります。
いかにみなさんの体験が泣ける物語であるか、これが重松清だったら滂沱の涙必須の物語に仕立て上げてくれるだろうな、と己の筆の未熟さが歯がゆくてですね!!
目指せ、重松清
THE ROAD TO 重松清
その第一歩としての講座参加でありました。ブログのためといえばブログのためですが、目指すところはみなさんにご自分をかわいそがっていただけるようになることです。
参加者のレベルの高さに青ざめましたが、行ってよかったー。
テーマは「名文とはなにか」でした。論理的でわかりやすい文章ばかりがヨシとされる中、論理が破綻しているとかダブルスタンダードであるとかという誹りに臆することなく、悪文である己の筆を貫け!というなんとも力強いお言葉。
腐れポエム、というセンセの発言に、待ってました!と拍手喝采です。
月イチで開催されているので、また行こうかな、と。ついでに東京で会場を借りてセッションももっとやらせていただこうかな、と画策しております。
ほんでね、映画「セッション」をみて思い浮かんだものがあったので、よし、重松清化の練習だ、と書いてみたのですが。
が。
つまんねー。
自分で書いてて、読んで、つまんねー。
( ;´Д`)
重松清、重松清って言わなくていいじゃないですか、とよくいわれるのですが、ほんまや、私の書くものは重松清テイストにそぐわないのかも。
小田嶋センセが言われたように、初心に戻って悪文を貫きますかね。
お目汚しですが、書きかけ挫折のもの、あげておきます。
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箸と茶碗があれば、箸をバチに見立て、茶碗のタイコを叩くのは人の性(さが)だろう。タイコとはバチで叩くものであるということを、人はなぜ知るのか、何によって学ぶのか。
僕のタイコの師匠は石原裕次郎である(多分)。
裕次郎がスクリーンの中で叩いていたのはタイコではなくドラムというものであることを教えてくれたのは父であった。
スクリーンの中の裕次郎は僕もタイコではなくドラムを叩きたい、と思わせるに十二分なかっこよさであった。
ドラムを叩きたいという感情が芽生えてしまったら、本来は片手で2本持つはずの箸を両手に1本ずつ握るようになるのも必然であろう。
僕の最古の記憶、正確に言うなら体験の記憶ではなくて印画紙に留められた光景。
ちゃぶ台に向かって、両手に箸を1本ずつ握り茶碗のドラムを叩いている。隣に座る父は食卓における行儀の悪さをたしなめるどころか、「もっとやれ!」と言わんばかりに笑顔で拳を振り上げている。
撮影していたのは印画紙にその姿を現していない母だ。母が僕の演奏(?)を楽しんでくれていたのか、それとも男二人には何を言っても無駄と諦めていたのか、それは記憶に残ってはいない。
食卓の記憶は僕の幸せの原光景だ。庇護を受けることが権利どころか義務であった子供時代から押し出されたあと、四方八方から押し寄せる「ねばならない」に絡め取られ疲れた僕が、幸せの残滓を求めてあらぬ方向に走ってしまうのも致し方なしとご容赦いただきたい。
父を、母を、笑顔にしたのは何だったのか。ちゃぶ台でドラムを叩く僕は家族の喝采を受けるスターだった。
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オチは考えてあるのですが、そこまでどうにも繋げられなかった。難しいですね!!