※再掲7度目
前回は『22年目の同情共感シンパシー』でした。
みなさんご存知のように(知らんか)、今日は別居記念日です。今のオウチを見つけたおかげで別居に踏み切ることができました。引っ越してきたその日、ぐっすりと眠れたことが忘れられません。それまでどれだけ緊張の日々を送っていたということか。離婚させてくれて、14年間雨露しのがせてくれてありがとう、オウチさん。
例え:その1
ストーンズの名曲「sympathy for the devil」には、「悪魔を憐れむ歌」という邦題がついてます。
例え:その2
香川リカが書いてたんですが、子育ての悩みを持ってきたクライアントさんに香山リカがなんか言ったら、先生、子どもいないじゃないですか、子どもいないのに私の気持ちわかるわけないじゃないですか、って返されて、子どもがいないと子育ての相談はしちゃいけないのか、社長の相談を受けるには企業経営者じゃないといけないのか、ってブーブー文句たれてました。
例え:その3
名バッターを指導するコーチが名バッターである必要はないですね。名選手が名監督になれるわけでもないし。
さて、震災23周年です。被災者だと自称するのは憚れるほどの被害しかありませんでしたが、私も一応被災者です。それなりに人生設計が狂いました。
毎年読み返す本。
- 作者: 安克昌
- 出版社/メーカー: 作品社
- 発売日: 1996/03
- メディア: 単行本
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実は、この著者とは軽く関わりました。関わった内容は重かったですが(どっちやねん。
関わりがあった当時は、わー、すごい精神科の先生だ、というくらいの認識しかなかったのですが、自分が人の心と関わるようになった今読んでみると、以前には気づかなかった多くの教えがありました。
傷ついた被災者との関わりに悩む中、いかに相手の感情に寄りそうか、ということが繰り返しでてきます。
治療するとか教え諭すとかとんでもない、できることは吐き出された言葉に対して何も付け加えず、とにかく耳を傾けるだけなのだ、と。
「わかって欲しい、耳を傾けて欲しい」という気持ちに心を寄せることなのだ、と。
受けとめるだけ、ただ見守るだけ、ってすんげー難しいです。
その不安をまぎらわせるために何かせずにいられないのではないか、と思うくらい。
つまり、自分のよるべなさを克服できるくらいの度量がないと、受けとめること、見守るこって出来ないのでしょうね。
同情という言葉はすっかり=憐れみとなってますが、本来は「同じ感情を共有する」ことだったのではないでしょうか。
共有できないほどの重いものに対しては、自らの感情を優位に保つために上から目線をもつしかない。
それゆえに、同情=憐れみ になってしまったのではないかと。
まったく同じ感情をもつことなど不可能です。
たとえ同じ場にいたとしても、暮らす環境、育った環境によって受けとめ方が違います。
人に対してネガティブな感情を抱いた場合、主語を「自分」にしろ、と言われます。
たとえば子どものやんちゃに腹がたった場合は、いたずらばっかりして悪い子ね!と怒るのではなくて、私はあなたのいたずらに腹がたつ!と言い替えるのです。
これによって相手をジャッジするのではなく、自分の感情に距離を置いて向き合うことができます。
しかし人の感情に向き合う場合は、この逆でないといけないのでは、と思わされました。
かわいそうだな、と感じてしまう相手の状況に対して、わたしはあなたが大変なんだと思う、ではなく、あなたはとても大変なのね、と、相手の状況を客観的に見ることが必要なのではないかな、と。
あくまで相手の大変さに気持ちを寄せる。自分の感情を入れてはいけない。
ここで自分の気持ちを入れてしまうと、憐れみテイストが醸し出されるのでしょうね。
だって、いま大変の渦中にある人に、自分の感情まで押し付けてしまうわけですから。
難しい問題をもって来られた相談者さまには、打つ手がなくて途方にくれる、ってこともあります。
そんな時、できることは相談者さまの気持ちに寄り添うことだけ。
己の無力感と闘いつつ、耳を傾けるだけ。
相手と同じ辛さを味わうのではなく、辛さに立ち向かっている辛さ、とでもいうか、そこを受けとめる覚悟というか、そこしか誠意を見せられる部分はないですね。
亡くなられた方のご冥福を、なんてことは言えません。
そんな自分のボキャブラリーに存在していない非日常的な言葉。
生き延びた方々、残された方々にこそ、寄り添いたいです。
助けられなかったことを責めなくていいよ、生き延びてしまったことに罪悪感を抱かなくていいよ、と。
逝った人の分も生きてくださいよ、と。
生かされているのは意味があるからだ、なんて手垢がつきまくった表現ですが、えっと、どっかで読んだフレーズ、あなたが死にたいと思いながら生きているその1日は、生きたいと思いながら死んでしまった人が生きたかった日なのだ、って。
震災後、生きていることに辛さを感じている方がいるなら、その気持ちに寄り添うことができたなら、と思っています。
※来年は24年目として再掲する予定
追記
私は神戸ネイティブでもなければ震災でえらい目にあったわけでもない、それが負い目のような引け目のようなものだったので、震災について積極的に語るということはできませんでした。
そんな私が(どんな?)なぜ「世界一のクリスマスツリー」に反応してしまったのか。
反応したのはいいけど、震災で痛みを味あわれた方々と同じものを語れるはずもなく、これは私が足を踏み入れていいとこではない、とも思ったのですが、何の因果か世界一のツリーが関わっているのが富山、富山という文字を見るたびチクチク痛むものがあったのです。
また、30年以上も神戸にいながら、馴染みきれない感が払拭できず、神戸も富山も自分の居場所ではない、という寄る辺なさがありました。
そんな私が(どんな?)「世界一のクリスマスツリー」になぜ反応してしまったのか。
ステラさん、としときましょうか、ステラさんは「プレ・世界一のクリスマスツリー」的なものの存在を私に教えてくれたのです。恥ずかしながら、そういう(どう?)ドロドロしたものがあることをまったく知らず、そのドロドロに関わらざるを得なかった方々のダメージのほどにも思いを寄せることなく。
私はステラさんの痛みに対して無力だったのです。ステラさんは自分の痛みにがっつりと蓋をしてしまわれました。私の手の届かないところに行ってしまわれました。
「世界一のクリスマスツリー」は、ステラさんの問題を解決できなかった私の無力感に抵触したのです。傷口に塩を塗られたのです。
「世界一のクリスマスツリー」に登場する人たち、プラントハンターや糸井重里、神戸市長、その他利権に群がる人たち、そしてその人たちに自分たちの痛みをおしても「それ、ちがうやろ!」と果敢に声をあげ続けている方々。
ツリー問題の理不尽さと戦っている方々に、私は自分ができなかったことをやってもらえてるような、なんか救われてるような感じがしたんですよねー。
ということが、今わかりました。
ツリー問題があぶり出したいろんな裏事情、手間暇惜しまず矛盾を解明された方々の行動力にひれ伏しますね!
ひれ伏してないで、お前も動けよ!ですよね。
できることの少なさに、ついダメポ沼に沈み込みそうになりますが、私は自分の本分である「ヨシヨシ」をやっていくのみです。
丶(・ω・`) ヨシヨシ
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