忘れていません、忘れていませんよっ。
(2)せつないさん の続きです。
せつないさんのお題は「やりたいことがわからない」でした。せつないさんも優秀なので、なんでもできちゃいます。ハードル高いことをやれば、やり甲斐っぽいものが得られるのではないか、といろいろチャレンジされるのですが、すんなり出来てしまうのでイマイチフルイチ手応えが得られないようなのですねー。
結婚、出産されてから大学に入り直されました。ご家族の協力もあって、資格を得ることができました。その資格を活かしてお仕事に打ち込むぞ!
ぞ!
とは、なりませんでした。
やはり続かないのです、お仕事が。
周囲は口を揃えて、もったいない!せっかくの資格なのに!と言います。同じ資格を持っている人たちはせつないさんからは充実してキラキラしてるように見えます。
さて、せつないさんを置いて家を出てしまったおかあさま。
いえ、出ていません(どっちやねん。
激甚暴力亭主から逃れるためにおかあさまは離婚を希望されましたが、ご主人さまから提示された離婚の条件はせつないさんを置いていくことだったのです。
子供の預かり知らぬところで話は進められ、おかあさまは一時避難の状態からそのまま離婚となったのです。
おかあさん、どっかいっちゃった、いつ帰ってくるの?
という状態から、それっきりになってしまったのです。せつないさんはちゃんとお別れをすることすら出来ていないのです。
おかあさんがいなくなった後、せつないさんはおとうさまの暴力に支配されていました。
小学校の頃から家事をさせられるのは当たり前、お金も入れてくれません。口答えをすれば暴力です。
お金の不足ゆえに学校生活にいろんな不備が発生します、見かねた近所の方が大学の入学資金まで援助をしてくれたそうです。
おとうさんは、そんなこと微塵も意に介せず、です。
そんなせつないさんが(どんな?)大学進学、就職、結婚、出産と(傍目には)人生を順調に進めていたとき、偶然にもおかあさまとの再会がありました。
おかあさまは再婚をされていました。子供もいました。
何事もなかったかのように、おかあさま一家との交流が始まりました。
何もないことありませんやんね。
おかあさまには置いてきた、という負い目があるでしょうし、せつないさんにはもちろん、置いていかれた、という気もちがある。
おかあさまの「ごめんね」に対してせつないさんは、いいよ、仕方なかったもん、と答えるしかないのです。
せつないさんの人生において、ありとあらゆることに「いいよ、仕方ないもん」が適応されてしまっていました。そう、せつないさん、怒らないのですよ。嫌いな人もいないそうです。
他者とぶつかることがないから、人付き合いの上手な人、というふうに見えてしまいますが。
が。
ネガな感情に蓋をすると、セットで楽しいことを感じることにも蓋がされてしまいいます。だから、やりたいことがわからない病になってしまうのですよ。感じたくないものは感じないで、感じたいものだけ感じる、というムシのいいことはできないのです。
感じない人はどうなってしまうか?
あんた、まだ平気なフリするんか?と、これでもか、と攻撃は強くなってきます。そう、より感情に揺さぶりをかけるような(好ましくない)出来事が起きるのですよ。
白旗あげちゃえばいいんですけどね。
降参、降参、私ほんとは嫌なの、平気なフリしてたけど実はすごくまいってるの、と。
本当に感じるべきことは何か。
おかあさまと別れて寂しかった、辛かった、ですね。
それを感じられないというのですよ!!
だっておかあさん出て行かなかったらおとうさんにひどい目にあわされる。
せつないさんは身を呈しておかあさまを救ったわけですよ。おかあさんの代わりに、おとうさまの暴力を引き受けたのですよ。
さ、では、おかあさまはどうしたらよかったと思いますか?せつないちゃんを置いていくかわりに、どうしたらよかったですか?
そう、連れていく、ですよね。
なぜそれが出来なかったのかはわかりませんが、せつないさんと一緒に家を出たらよかったのですよ。
おかあさんに置いていかれて寂しかった、辛かった、これは確かにあります。
が。
ちっちゃいせつないさんがそれを思う間もなくおかあさまは姿を消してしまわれました。
それ=私も一緒に連れていって
置いていかれたことを嘆く前に、連れていって!と訴える機会があるべきだったのですよねー。
連れていって、という権利が自分にはあったはずなのだ。でも、その権利を行使する機会すらなかった。
絶望が倍加されます。
感じなさの度合いにも拍車がかかります。
せつないさんは自分の気持ちを殺したのです。
せつないさんがなぜ仕事が続かなかったのか、にもどります。
そのお仕事は、せつないさんのおかあさんが目指したものだったのです。
手に職を、と目指されたのですが、手に職をつけてひとり頑張るより、結婚のほうがよかったのです。
おとうさまからの申し出に学業の途中でのっかってしまいました。
おかあさまは目出度く目指す専業主婦になれたのですが、夫は暴力亭主でした。
おかあさまには果たせなかったものが2つあります、ひとつは仕事、もうひとつは安心できる専業主婦。
せつないさんはそのリベンジをなさっていたのです。
おかあさまが果たせなかった学業は果たした。
幸せな専業主婦にもなれた。
幸せな専業主婦は働かなくていいのです。
働くことと、幸せな専業主婦は両立しないのです。
ややこしいですね。
おかあさまはポジティブな動機で手に職を、と思われていたわけではなかった。でも結婚してみたらそこは平穏な場ではなかった。手に職があれば離婚できるのに、と思われたことでしょう。
でも。
手に職をつける道は自ら放棄されたのです。
痛み、穴ぼこは盤石な地盤ではないので、その上に建物は建てられません。手に職を、という一見前向きな意思がひとりで食ってはいけないから、結婚できないから、という「どうせ」の上になりたっていると、それはハッピーな成果にはなりにくいです。
せつないさんは、お仕事に力を発揮することもできず、幸せな専業主婦でいることもできない。
なぜなら、専業主婦が力を発揮すべきであろう家事がせつないさんは嫌だったから。
だってそれは、おとうさんのために自分を犠牲にしてさんざんやらされたことだったから。
おとうさんへの文句は出しやすいです、だって実際に痛い目にあわされたから。
せつないさんがおとうさんの元に止まらなくてはいけなくなったのは、おかあさんが出て行ってしまったから。
もとい。
おかあさんがせつないさんを置いていってしまったから、一緒に連れていってくれなかったから。
そのおかあさんに気持ちを出せません、だって「仕方なかったから」。
せつないさんが仕事からも主婦を全うすることからも遠ざけられてしまっている、そのことから解放されるにはおかあさんに出せなかった気持ちを出すしかないのに、それがどうしても、どーーーーーーーーーしてもできないのですよ!!
おとうさんへの文句はいくらでもおっしゃるのですが、話がおかあさまのことに及ぶと、せつないさんは寂しい笑顔になるのです、だって仕方なかったもの、と。
続きます。
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