会社員時代の勤務先のひとつ、そこの女社長さんは玄関から出る時に最初に踏み出すのは右足か、左足か、まで懇意にしていた占い師にお伺いを立てていた熱烈なる気学の信奉者。
あるとき、なんでそんな話になったのかも覚えていないのだけど、「私って運がいいと思います」と言ったのですよ、私。
すると件の女社長さん、「いまぷ は全然運がいいとか思われへんわ」って瞬殺なんですよ!マウントという言葉もない時代、今から思えばすべての言動がマウントな方でした。マウントって穴ぼこ埋める以外の何物でもないんですけどね。
しかし私も何を思ってそんなこと言ったのか。人が自分で「運がいい」って言うのってどんな時でしょうね。
例1)
すごい成果あげてらっしゃいますね!
いえいえ、たまたま運がよかっただけですよ
例2)
すごい成果あげてらっしゃいますね!
はい、ぼくいつも運がいいんですよ
例3)
すごい成果あげてらっしゃいますね!
だって頑張りましたもん!
例3は結果を運に委ねていません。同じ運まかせである1と2の違いは、1は謙遜、2は謙遜ではないけれど自分の努力とは認めていない。3と比べたら謙遜と言っていいでしょう。私は2のケースだったように思います。
運には乗れてるんだけどね。
でも、頑張りじゃないんだよね。
頑張ってる、って言える自信ないんだよね。
こちら↓の続きです。
50代男性さま、ビジネスの方向性が変わったそうで、今後の成り行きを不安に思っていらっしゃいます。なぜ変ったのかは伺っていません。
これまではどうだったんですか?とお尋ねしたら、「運だけでやってきた」とおっしゃいました。
これからどうしたいんですか?とお尋ねしたら、わからない、と。
つまり、これまでは「運だけ」でやってきたので、いわゆるPDACができていないのですよ。
運だけでやってきた
すごいですねー!
とは、ならないのですよ。
なぜなら。
運には再現性がないから
同じ結果を求めても、再現する術がないから。強いて言えばお呪い(まじない)とか祈祷ぐらいですかね。でもそれだって、絶対とは言えませんよね。
運がよかった、運がいい、とは結果に対して言えることで、その運を恣意的に運用するなど誰ができましょうか。それは運がいいのではなくて、先見性があるというだけです。
その方がよほどすごくないですか?だって再現性があるんだから。
運がよかったんじゃなくて、先見性があったのかもしれませんよ。
それと似たものが「直感」です。選択の基準が直感であることを、なぜ人はいくばくかのドヤテイストを醸し出しながら主張するのでしょうかねえ。
直感の反対はなんでしょう?直感と直観、2つありますが、どちらも意味は大体同じでした。「推理や考察といった論理的な推論能力とは異なる認識のあり方」です。
「直観・直感」で選んでいるかもしれませんが、なんらかの選択基準や法則に乗っ取っているかもしれません。それがわかったなら、あやふやな直感ではなく、再現性のあるメソッドとなり得るのです。再現性があるとはどういうことか。
自信が持てるのです。
自信とは何かが不安なくできるようになる魔法とかではなくて、これをしたらこんな結果になる、と確信を持って因果を把握できている状態のことです。
再現性があるなら、やったことの結果に自信が持てます。どんな結果が出るかに自信を持って手段を講じることができます。
運には再現性がない、これまでうまくやってこれたのは運のおかげではなく自分の力ゆえ。それにどんな力、どんなリソースを発揮することができていたかの棚卸し、そうすれば、どうなりたいか、と目標を持つことができる。そしてそこにたどり着くことができる、とお伝えして終了。
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