TODAY’S CONTENTS
1:マリコさん
2:聖書さん
3:美術館さん
4:「好き」ってこういうことかな
1:マリコさん
節分なので鬼のお面をかぶっています。
いえ、鬼のお面ではありません(どっちやねん。
これは「マリコお面」なのです。
マリコお面ってなに?とおっしゃるそこのあなた、説明しよう!!
マリコさんとはこちら。
マリコさんとは献血ルームでご縁が繋がったのですが、あまりに香ばしいキャラに(褒めてます)これは逃してはならない!となったのでありました。
歴史好き、イギリス好き、シルバニアファミリーマニア等々、守備範囲の広さと深さにはおののくばかりです。
移動はすべてママチャリ、明石の西から尼崎までママチャリで動くんですよ、狂ってますよねっ(褒めてます。
ブログ記事の1本2本ではすぐにわからないかもしれませんが、2015年の1月から1日も休まず必ず自分が描いた絵をアップされているというブログ、はまります、中毒になります。
自画像のマリコさんがいつも登場しますが、そのお面を作ったというので、欲しい!とコメントしたら、なんと送ってくださったのですよ!!いまぷ、感激!!!!
※ちなみに自画像とご本人は似ても似つきません。もっとかわいくしたらいいのに、と言ったら、自分を可愛く描けないのだそう。闇が垣間みえてしまった私を許してください。
初めてブログを読ませていただいたとき、これコミックエッセイとかにまとめたらおもしろいやん、と言ったのですが、ご本人はとにかく絵を描けて好きなものに囲まれていたらそれでハッピーなそうなのですよ。
そのたぎるもの、何か形のあるものにすれば、と私が勝手にもったいないなー、と思ってしまうだけなのです。
2:聖書さん
ある日、セッション中にドアの外でガサゴソと音が聞こえました。荷物の配達かな?ノックの音が続くことを待っていたけどそれもありません。
なんだろ?と思いつつセッションが終わりお客さまを見送るとき、ドアノブに掛けられたものが。これだったのか。
袋を開けてみると、オニギリが入っていました。
これも感激でしてね!自分以外の人が握ってくれたオニギリってこんなにおいしくて嬉しいものなのか、と。
煮豆がぶらさげられていたこともありました。
オニギリと煮豆を届けてくださったのは聖書さん(仮称。
聖書さんはお料理がお好きなのだそうですよ。それも煮豆が得意。
煮豆の試食会とかしましょうよ、とつい言ってしまうのも私の悪い癖ですね。人がもっている「好き」とか「得意」とか黙って見てられないのですよ!
聖書さんはクリスチャンです。みなさんご存知のように(知らんか)私は一時期たいそう熱心に教会に通っていたのですが、神父さんがどうにも合わず足が遠ざかってしまいました。
聖書さんはいかに聖書が楽しいか、を語ってくれます。聖書さんの話を聞いていたら、もっかい聖書読んでみようかな、と思わされました。
何が、ではなくて、誰からか、です。
3:美術館さん
神戸の美術館にお目当の展示があると立ち寄ってくださる美術館さん(仮称)、美術を志していらっしゃったこともあり、なんつか、服装、持ち物、すべてに貫かれた美意識が醸し出されているのですよ。
大阪豆ごはんに出てくる画廊の娘さん(名前わすれた)みたいな感じ。そう、「趣味がいい」というのが適切ですね。
その美意識を活かして何かすれば?とまたぞろもったいないお化けが発動してしまいます。
私がカラヴァッジョ展に行ったというのを受けて、ご自身が過去に見たものの心証をメールで届けてくださいました。カラヴァッジョ展も行かれたそうで、そのコメントもあったのですが。
が。
関根正二の「信仰の悲しみ」について触れられたテキストを読んだとき、不思議な現象が起こりました。
※画像はこちらからどうぞ
美術館さんが見たものが、私の中になだれ込んでくるような(語彙。
美術館さんの目を通して同じものを見ることができているような。
似たような感覚、過去にもありました。
たとえメールであっても、思いって言葉に乗っかってやってくるのだな。美術館さんが「信仰の悲しみ」を見て感じたものが私のもとに届けられたのだな、と実感しました。
4:「好き」ってこういうことかな
「好き」を語るときって他者からのジャッジを想定してないですよね。自分がただ「好き」というだけ。
「好きなものがない」という方、他者からのジャッジという覆いに「好き」の芽がその成長を阻まれてしまっていますよね。
ジャッジされた痛み、取り除きましょう。
お手伝いさせていただきます。
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こちら↓のエントリーのアルさんが
経絡治療の感想↓を書いてくださいました。
身体を治せば心が治る
心が治れば身体も治る
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