過去記事の整理、はてなやJimdoからのインポートなど、賽の河原に石を積むような作業を嬉々としてやっております。
シリーズものをひとつ整理しました。
読み返して、こんなこともあったなあ、と感慨深いことや、恥ずかしさに穴をほって埋もれたくなるものも。
これの最終が2013年、それから8年たってますのでその間にもなんやかんやありました。
続きを書こうかなとも思ったのですが、記憶の時系列がどうにもアヤフヤでまとめることができません。
鞍馬のこととか披露したいネタはあるのですが。
見える人も神様も私を救ってはくれなかった。
失礼、救いの手は差し伸べてくれたのでしょうけれど、私が望むものではなかった、差し出された手を私は掴むことはできなかった。
私の救いになったもの、それはやはり”ちっちゃいちゃん”の物語なのです。
コネクトロンのセッションで姿を表してくれたちっちゃいちゃん達の姿、いずれも切なくていとしくて抱きしめたくなるものばかりでした。
自分のほんとの姿がそんな切ないものだとしたら、どうして責めることができるでしょうか。
辛かったよね、寂しかったよね、と声をかけるしかないではないですか。
みなさんが縛られている罪悪感からご自身を解放していただくために、いわばちっちゃいちゃんの力を借りたいのです。
大人のあなたもちっちゃいちゃんをヨシヨシするけれど、子どものちっちゃいちゃんも大人のあなたをヨシヨシしてくれるのです。
そんなに自分を責めなくていいよ。
いや、むしろ責めちゃダメ。
だってこんなに辛かったんだもの。
その!
せつない!!
いとおしい!!!
ちっちゃいちゃんの物語をですね!!!!
私は書きたいのです、そしてみなさんに読んでいただきたいのです。
そしてわかっていただきたいのです。
いかに自分がせつないか、責めるべき存在ではないかということを。
あなたは悪くない。