40代の女性。こうして書くことも心苦しく、つらいのですが、誰にも話せず、もんもんとしているので、相談させてください。
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なんだか万物が「○○ガチャ」に思えてきました。何もかも、あれもガチャ、これもガチャが現実なのでしょうか。ご教示を賜りますようお願い申し上げます。(千葉・T子)
相談文全文はこちら
https://www.yomiuri.co.jp/jinsei/20220827-OYT8T50037/
報われて欲しいという優しい気持ちをお持ちなのかなと感じました。
ガチャは、どうにもならないことに使われることが多いですよね。
あきらめさせるための言葉のような。
日頃の行い云々な考えの方、これは自己責任論ですね。
これもあきらめさせるための投げかけではないかと。
いずれにしても、起きた出来事で受けたダメージを納得させるためのもの。
未来につながらない。
優しい相談者さんなら、傷をおった人を希望となる未来とつなぐことができるのではないでしょうか。
今日はカードです。
・ブロックしているもの「執着」
・では、どうするか「許し」
・得られるもの「清らかさ」
・現状「正義」
相談者さんも何かをあきらめさせられたことはなかったですか?
その時、どうやって自分にそれを言い聞かせましたか?
そして時間がすぎた今、それを思い返して「あきらめなければよかった」とご自分を責めてはいらっしゃいませんか?
ガチャ思想(?)の怖いところは、やる前からあきらめさせてしまうところ。
思い描く夢とたとえ同じではなくても、灯台に気持ちを向けることはあってもいいのでは?
フタをして亡きものとした思いに再会する時なのかもしれませんよ。
回答はいしいしんじ(作家)さん。
「ガチャ」という表現自体が悪いわけでない。この語をふくめ、大切な相手にどんなことばをかけられるか。その判断は、ガチャでない。完全にあなたの意思に任されている。
ガチャは自分を責めることはしないけど、自分の選択ではどないもならんと意欲を失わせるしな。そうか、自分を責めるかどうかは自分で選択できるってことだ。
滝詣連続12+713日目(2022/08/28現在)
ちょっと聞いてくださいよ。お地蔵さんのお世話をいつもされてる男性、今朝もお花の水を換えたりされてるとこに遭遇したんですが、作業の手をちょっと止めてお地蔵さんの横にいってズボンのファスナーから何か引っ張り出してションションしてそれをまたしまって、そして作業を続行されまた。ちょっと気持ちの整理がつかなくて、落とし込み所をどなたかご教示いただけませんか。