あなたの罪悪感を消滅させる
ヨシヨシする人ヨシヨシスト
いまぷ です。
TODAY'S CONTENTS
1:介護という義務でやりたいことをあきらめない
2:脳はクセもの
3:介護という義務でやりたいことをあきらめないための3つのマインドセット
4:自分をあきらめなくてもできる介護
1:介護という義務でやりたいことをあきらめない
介護はたいへんだ、自分の好きなことなんてやってる余裕ない、ってイメージありますよね。
自分の好きなことやってる余裕ない
↓
自分の好きなことやっちゃいけない
↓
やりたいこと、あきらめなきゃいけない
こんな3段活用になってませんか?
やりたいこと、介護の義務のためにあきらめなくていいんですよ。
2:脳はクセもの
脳よ、お主もワルモノだのお
ではなくて。
脳はクセモノです。
クセがあるのです。
どんな?
設定された前提以外のものは取り込まないのです。
例えば)
介護はしんどいものだ、自分がやりたいことと両立などできない
こういう前提があったとします。
すると介護に携わったが最後、やりたいことに邪魔が入ります(邪魔を”引き寄せる”とも)。
やりたい仕事がトラブったりとか、介護される人の体調が悪くなって介護度が上がるとか。
そして「介護の義務を果たすためには、やりたいことを犠牲にしなくてはならない」という図式が強化されることになるのです。
介護は楽なんだよ、やりたいことあきらめなくていいんだよ、と思わせてくれるようなことが起きないのです。
いえ、起きています(どっちやねん。
起きているけど、脳が認識しません。
ほら、占いで当たったことばっか憶えていて、外れたのは憶えてないってのと一緒ですよ。
前提以外のことは、インプットされないのです。
3:介護という義務でやりたいことをあきらめないための3つのマインドセット
⑴生まれた時からあきらめてる人なんていない
赤ちゃんが泣くのはおっぱいを求めて。おっぱい貰えないと命にかかわります。
おっぱいをねだることをあきらめてしまうのは、我慢できる体力がついたのと、自分以外の存在を忖度できるようになったから。
お母さんが忙しくておっぱいどころではないことを理解できるようになったから。
あきらめるということは、あなたの持って生まれた資質ではありません。
介護の義務を遂行するために、自分がやりたいことをあきらめる必要はありません。
介護は義務ではありません。
⑵誰かの犠牲の上に幸せは成り立たない
あなたが自分のやりたいことをあきらめて介護に専念するとしましょう。
それがお父さんであるなら、お父さんは喜ぶと思いますか?
私のせいで、息子にやりたいことをあきらめさせてしまった、とお父さんは自分を責めます。
やりたいことはあきらめるわ、お父さんは罪悪感に苦しめられるわ、幸せな人が一人もいませんよ。
⑶あきらめることを介護のせいにしない
あきらめていいんですよ(どっちやねん。
あきらめていいけど、やりたいと思っていたこと自分には向いてないとわかった、力不足だとわかった等々。
向いてないからやめるのを、介護のせいにしないでくださいね。
いいきっかけだ、と手放せなかったものを手放す機会にしないでくださいね。
消極的選択で足を踏み入れた領域、ずーっと後ろ髪を引かれることでしょう、あきらめてしまったことに。
いえ、引かれません(どっちやねん。
だってあきらめてないんだもの。
残るのはあきらめではなく、どちらにも打ち込めない虚しさ。
せめて積極的選択として介護に臨んでください。
4:自分をあきらめなくてもできる介護
はなっから自分をあきらめないと介護はできないと思わないこと。
たとえ介護より自分がやりたいことの比重が重くても罪悪感を抱かないこと。
やりたいこと100%できなければダメと思わないこと。
介護する相手を大切に思う気持ちがあることを忘れないこと。
介護は義務で仕方なくやるものではなくなります。介護は愛情表現となるのです。