糟糠の妻はなぜ捨てられるのか、再び

これを見てですね

芸能人って何しても、どんだけ叩かれても、復帰できるんやなあ、って思ったんですよ。

性犯罪おかした人の復帰だけは許せんのですけどね。

ま、それは置いといて(置くんかい。

今はもう違いますけど、かつて日本で離婚が少なかったのは、愛がなくなっても婚姻関係を続けることができる国民性だったから、と言われていました。

結婚と愛は別なのですよ。

それに引き換え諸外国は、愛のないものとの結婚は神を裏切ることになるので、さっさと離婚しちゃうんだとか。

愛というか、永遠不動の関係なんてないですよね。

関係を持続させるための努力ができるかどうか、持続させる必要のある関係であるかどうか。

過去記事でこんなのがあったのを思い出しました。

糟糠の妻はなぜ捨てられるのか

続)糟糠の妻はなぜ捨てられるのか

人って自分と同じ土俵のものとしか繋がれないんですよね。

双方の土俵が違ってしまったら、相対する機会がなくなってしまう。

パートナーシップが終焉を迎えるのは、まさに土俵が違ってしまったからなんだと思うんですけど。

相手の変化(成長)についていけなくなった。

共に歩を進めていけない人とは、一緒にいられません。

ジャミロット〜死神

足を引っ張られちゃうから。

モラ夫から逃げて当然なんだよ!!(違

渡辺謙はなんで南果歩と別れちゃったんだろ、と考えて、南果歩ともども3回結婚してるしなあ、100%の熱量を相手に向けられなくなったら、関係を維持する気力が失せる人たちなのかな、と。

関係の維持ってエネルギー必要ですもんね。

 

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