壮絶な虐待を受けてこられた方(仮称ボタンさん)、ボタンさんは虐待の記憶に完璧にフタをしていました。コネクトロンにお越しくださるようになって数年間、彼女の口からそのことについて語られた事はありませんでした。
ある時、語られる過去の出来事に整合性のなさを感じたのです。
あれ?なんで○○なの?●●じゃなかった?と、抱いた違和感をそのままぶつけました。
それが始まりでした、ボタンさんが傷と向き合うことの。
私はうっかり傷に貼られた絆創膏をめくってしまったのです。
傷なんてなかったことを前提にして構築された記憶、それがいったん瓦解し、それを再構築する作業、それは大袈裟でなく壮絶な戦いでした。
崩れた瓦礫に潰され、積み直すために手は血塗れとなる、そうイメージしていただいてもいいでしょう。
私も怒りをぶつけられることはしょっちゅう。
でもボタンさんは「絆創膏なんて触らずにいてくれたらよかったのに!」とは言いません。
手を血塗れにしながら、瓦礫を積み直し続けるのです。
痛い、痛いと言いながら。
涙を流しながら。
なんなら瓦礫なんかじゃなく、もっと素敵な素材を持ち込んで。
過去を知らない人には、その構築物は単に素敵なものとしか見えないでしょう。
しかしボタンさんの中にあるのは「本当だったらもっと素敵なものが作れていたのに」なのです。
傷を負わされることがなければ、心置きなく好みの世界を構築できていたのに、と。
負った傷によってもたらされる様々なデメリットが彼女を苦しめ続けます。
過去を気にするな
よそと比べるな
過去からの成長を認めろ
そんな言い聞かせ、ボタンさんの心を穏やかにするためには何の役にも立ちません。
傷の正体が明らかになったことの唯一のメリット、それは、ボタンさんが「私はダメだ」と自分を責めていたことが、自分の”せい”ではなく、傷を負わせた人の”せい”とわかり、多少なりとも自分を責めずに済むようになったこと。
かといって、傷の痛みがなくなるわけではありません。
絆創膏をめくってしまった者としてできること、それはボタンさんの「痛い」という声に耳を塞がずにいることだけなのです。
嬉しいことに、以前は「痛い」しかなかったのが、積み上げる喜びも発せられるようになりました。
しかし喜びを感じた後に、「三歩進んで二歩下がる」的なことが起きると、下がらざるを得なかった二歩に対して怒りや悔しさをぶつけられます。
辛いよねえ
思わずそう漏らしてしまいます。
苦しまぎれに、手垢のついた言葉も使ってしまいます、「幸せになることが最大の復讐っていうよね」。
幸せになってやる!私が幸せになったらきっと、私に傷を負わせた人は地団駄踏んで悔しがるに違いない!!
絆創膏や消毒薬など、傷の手当てに必要なものを抱えて、彼女が幸せに至る旅に随行させていただく所存です。
あなたの旅にもお供させていただけますように。
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