さて、皆様にお覚えいただいておきたい大原則。
人が行き詰まってしまうのって「手段」と「目的」がごっちゃになってしまっている時です。
行きたい場所があれば、それが「目的」、そこに行くための方法が「手段」です。
ひとつの目的に対して、手段は複数であることが多いです。
ひとつの手段にこだわっていると、その手段こそが「目的」になってしまって、本来の「目的」を忘れてしまうのです。
子どもが一番可愛い時を写真に残しておきたいと思ったとしましょう。
「子どもの可愛い時を残しておく」が「目的」なのに、どのカメラにしよう?とこだわってカメラを買い損ねているうちに、残しておきたかった時はすでに終わっているという様なものです。
では「死にたい」と思ったとき、その「目的」と「手段」について考えてみましょう。
手段は専門書(?)が過去にベストセラーになったように、枚挙にいとまがありません。より取り見取りです。
では、目的は?
死ぬことが目的じゃないの?と、おっしゃるそこのあなた。
チッチッチ☝️
死ぬことそのものが目的であるケース、私は未だ遭遇したことがありません。
死ぬことが必須だな、と思えた数少ないものをご紹介させていただくなら。
・安楽死
ガンの痛みから逃れる術がなく、スイスでの安楽死を選択されたマユミさん。
マユミさんの安楽死に反対できるのは、痛みから逃れる「手段」を提供できる人だけですよ。
痛みから逃れるために、マユミさんは死を切望されたでしょうけれど、この死は手段であって目的ではありません。
手段が他にはなかったから、必然度が増すというだけです。
・絶望
希望とは馬の鼻面にぶら下げる人参。
その人参を目指して前に進みます。
それがなくなると、前に進む意欲がなくなります。
希望がなくなることが絶望です。
明日も生きよう、と思わせるものがなくなること。
絶望を抱えて生きるよりは死んだ方がマシ。
これも死ぬことは手段です。
絶望から逃れるための。
ちなみに私が最も納得せざるを得なかった絶望死は、音楽評論家の中村とうよう氏とミュージシャンの加藤和彦氏でした。
※なぜこの二人か?というのは膨大な字数を必要としますので割愛します
「死ぬこと」は手段であって目的ではありません。
「死にたい」と思っている方、あなたの本当の目的はなんですか?
いま、この時点であなたを苦しめているものから逃れることではないですか?
逃れる手段が「死ぬこと」しか思いつかない状態では?
あなたが欲しているものは「死」ではないのです。
苦痛から逃れることなのです。
やまない雨はない
この言葉が現時点で雨に打たれている人にとって、なんの慰めにもならないということは重々承知しています。
しかし雨に打たれる苦痛から逃れる手段が「死」一択というのは性急にすぎませんか。
雨をやり過ごすことができれば、明るさや暖かさを再び手にすることができるのです。
その機会を逸してしまうのはもったいなくないですか。
「死」以外の手段を提案できない私がいっても説得力はないでしょう。
あなたを今ある苦痛から救う手段が「死」しかないのであれば、その手段を選択されて苦痛から解放され、安寧を手にされることを祈るばかりです。
最後の選択をする前にお時間があるなら、いろんな手段を探ってみませんか?
お手伝いさせていただきます。
