児童虐待のニュースに心を痛めている20代の女子学生。怒りっぽい父との関わり方について相談します。
酒好きの父は毎晩晩酌をします。15年ほど前、父とプロレスごっこで遊んでいたところ、突然酔いと怒りにまかせて私をボコボコに殴り、泣き叫んでも母が仲裁に入るまでやめませんでした。その後、気まずい空気の中にいる父がかわいそうに思え、私が父に謝罪して事態は収束しました。
記憶は鮮明に残り、どこかで父に恐怖を感じます。ただ、父のお陰で今の私はあるとも感じ、感謝の気持ちもあります。
しかし先日、児童虐待のニュースを見たほろ酔い加減の父から「俺はお前に手を上げたことがあったかな」と聞かれ、ショックでした。悪夢にまで見る出来事が、父にとっては、なかったことになっているのです。
本当に覚えていないのかと聞く勇気はありません。父をどう理解すればいいのでしょう。(京都・S子)
あなたの罪悪感を消滅させる
ヨシヨシする人ヨシヨシスト
いまぷ です。
子は親を庇うというのが、よくわかります。
>父がかわいそうに思え
>父のおかげで今の私はある
子は、「された」ことより「してもらったこと」を一生懸命に探し、自分は愛されていたと思いたいのです。大切にしてもらえたと信じたいのです。
うっ(嗚咽)。
子という存在のいじらしさに胸が張り裂けそうです。
忘れているか覚えているかそんなことは関係ありません。
>父をどう理解すればいいのでしょうか
お父様は酒癖が悪いのです(キッパリ)。酔った勢いで子をボコボコに殴るなど、あってはならないことです。
過去の出来事をお父さまに直接訴えて、謝罪があればS子さんは気が済むでしょうか。気が済むのならそれでいいです。
しかし、謝罪がなかった場合、「酔ってたから」と言い訳をされたりしたら、「ふざけてただけだよ」などと軽く扱われたらどうでしょう。
父親から殴られたという痛み、どうすればいいでしょうか。
親に求める側からすれば残念なことですが、「期待は失望とセット」、親という加害者に癒しを求めることはやめてください。
必要なのは今の自分から過去の自分へのねぎらい、いたわり、それがコネクトロンで言うところの「ヨシヨシ」です。
痛かったよね
嫌だったよね
お父さんのと怖かったよね
そうやって当時の幼い自分の気持ちに寄り添ってあげてください。
「父のおかげで」と言い聞かせて蓋をしてきたお気持ちがほとばしることと思います。
出せなかったものを出し切ることで、S子さんの「気は済む」という状態を手にすることができます。
お父さまが過去を覚えていようがいまいが、どうでもよくなります。
自分で自分を大切になさっていってください。
回答は最相葉月(ライター)さんです。
私も昔は父によく殴られたのでわかるのですが、大人になるにつれ、あの頃は父も若かったのだ、きっと仕事のストレスがあったのだ、とあれこれ理由を探して理解しようと努めるものです。たとえ親の置かれた状況がその通りであったとしても、圧倒的に力のある大人が幼い子に暴力をふるうのは絶対に許されることではないというのが、現代社会の総意です。
たとえ謝罪がなくても落胆する必要はありません。理解するのではなく見切るところから始まる親子関係が、あなたをきっと自由にするでしょう。
お父さまがお酒の「せい」でまた心無い行動をされることがあっても、その被害を被ることがないよう、距離を保たれていることがオススメです。
