富山県V子さんからのご相談です。
サービス業で働く20代女性です。自分に自信がなく、見た目や性格のコンプレックスを埋めるように、学歴や肩書を努力して積み上げてきました。ですが最近、人生の充実には人とのつながりや恋愛、親しい関係が大きいと感じ、これまでの頑張りも結局は他人に認められたかった、モテたかっただけなのかと思えて、むなしくなっています。
※オリジナルの相談文はもっと長いですが、著作権に配慮して短くリライトしています。
あなたの罪悪感を消滅させる
ヨシヨシする人ヨシヨシスト
いまぷ です。
そうなんですよ、気づいちゃうとそれまでの自分を振り返って「私の人生、返してよ!」ってなっちゃうんです。それまでの時間が無駄であったように感じちゃうんですよね。
無駄ではなかったと思い直すことができたなら、虚しく感じる気持ちは無くなります。
過去を無駄だった、失敗だった、その重いから抜け出すにはどうすればいいか。
フィードバックが得られれば失敗はないといわれます。
「無駄」「失敗」というデータを元に次の行動を起こすのです。
V子さんは「良い人生」には親友や恋愛など多くの人との交流が大切だと気づかれました。これからの人生を、大切なものと繋がる機会をより多くなるものとされていかれたらいいではないですか。」
失敗をしないと学習できないことがあります。大切なことに気づけた、それは過去の失敗があったからこそなのです。
以上、第1部です。
では、第2部です。
V子さんにとって「モテ」とは、他者評価なんですね。
「恋人が欲しい、彼氏が欲しい」と「モテ」の違いはなんだかお分かりですか?
前者は特定の誰かとの固い繋がり/パートナーシップで、後者は不特定多数からの支持なんですよ。
ひとりだけでは満足/安心できず、不特定多数からの支持が欲しい時もあるでしょう。欲しいものを得られたら「満足」します。他人からの評価=自己満足となるケースもあります。
自分が求めていたのは他人から認められること(モテ)だったのだ、大きな気づきでした。
ではV子さんにお尋ねです、なぜV子さんは「人はモテるために生きているのだ」と思われたのでしょうか。
モテるかどうかは重要ではありません、V子さんに「人はモテるために生きているのだ」、そう思わせてしまったものが罪深いのです。
他者から認められなくてはならない、1対1の繋がりよりは不特定多数からの支持の方が大切だ、V子さんがそのようにインプットされていなければ、ご自分の心が求めるままに人生を充実させていたことでしょう。
なんなら「ブスでコミュ障」というのも他者からの要らぬインプットです。
V子さんにそのように思わせてしまったものは何だったのでしょうね。
実はこれまでV子さんを動かしていたものは、他者の価値感でした。そこから解放され、自分なりの「良い人生」像を持てたのは素晴らしいことですよ。
他者の価値感に振り回されていた過去のご自分が、いじらしく感じられるのではないでしょうか。
周りの人のことばっか気にしてたよね
しんどかったよね
丶(・ω・`) ヨシヨシ
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