さーて。
おかあさんとなんやかんやある人、参考になるかなっ。
今日ね、私がPTAに行ってる間に、なんと、富山の母が来てたよっ。
チビから電話がかかってきて、バーバが来てるんだけど、どうしたらいい?って。
ま、ね、覚悟はしてたんですよ、だって、彼女からのなんやかんや、いっさいスルーしてたから。
怖かったんです。
ほんと、怖かったんです。
ま、彼女(もう、母ですらない)とのなんやかんや
言い出したらキリがないんですけど。
慌てて帰ったら、玄関先で彼女が突っ立ってました。
チビが家に入れてくれないそうです。
さ、そこから修羅場ですよ。
ほんと、すごい修羅場でしたよっ。
私が帰ってくる前にも、チビと母との間に壮絶なやりとりがあった模様。
えっとね、ほんと、ウチの母すごいんです。
で、私が制御できなくなって、いつぞやの正月のように泣き叫んでいたら、
チビの態度がもう、全面的に私の擁護なんですよ。
おまえがこいつ(私のことね)を苛めた
おまえがこいつをダメにした
ここは俺達の家だ
さっさと出て行け
惚れてまうやろ、状態です(こらーっ。
救急車呼んだり、
ほんと数時間でいろんなすさまじいことがあったんですが、
一段落した後でチビがですね、
君のこと、ほんまよくわかったわ
あんな親いたらしゃーないよな
これまでのこと、すべて許すわ
と、言ってくれて、
んで、数年ぶりくらいにじっくり話したんですよ。
いろいろ忌憚なき意見もね。
ほんと、私のブロックは母でした
富山の家でした。
そこから自由になっていいんだ、と思えたときに
ニュータイプ宣言できました。
明らかに、閉じ込めていた自分の感覚が解放できた、
という感触がありました。
私は母を捨てることにまったく躊躇がありません。
だって、母は私とつながっていてもハッピーじゃないもの。
母への恨みつらみを口から発することに
何の罪悪感もありません。
これは、元配のときもそうだったなあ。
私にはどうしようも出来ないんですよ。
母や元配が持っている劫(業?)のようなもの。
ほんと、私にはどうしようもないんです。
私は自由になります。
やっとなれます。
最後の詰め、しんどいけど
なんとか振り切っていきます。
ああ。
51年もかかったよ。
なんて重かったんだろう。