70代の男性。貧しい家庭に育ち劣等感を抱いて生きてきました。加えて、小心で不器用な性格。嫌われたくない一心から、周りに異常に気を使い卑屈になってしまいます。
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残り少ない人生を「普通」に生きたいと思っています。非道を繰り返した人間への怨念など捨てて、過去を思い出さないようにしたいのです。どうか助けてください。(大阪・N男)
相談文全文はこちら
https://www.yomiuri.co.jp/jinsei/20220831-OYT8T50062/
>周りに気を使って卑屈になってしまう
これはもっともしかりなこと。あらゆる感情の中で卑屈がもっとも認めがたいもの、その存在を否定せずにいらっしゃる、臭いものにフタをしない、綺麗事を言われない方、自分に嘘をつかない方かと信頼できます。
仕事を1日も休まなかったというのは相談者さんの誇り、矜恃ですね。
怨念の下には必ず悲しみがあります。恨んでいるのではなく、悲しいのです。
その悲しみのさらなる根っこは何か、ご家庭の経済状態ゆえの劣等感であるならば、相談者さんの憂いのスタートはそこかもしれませんね。
ちょっと相談のお答えからは外れますが、コネクトロンならばどうするか。
経済状態ゆえにどんなデメリットを被ってしまったか、それがなければ何ができていたか。それを明らかにします。
家庭の事情ゆえにそれは果たせなかったかもしれないけれど、本当の自分は、本来の自分は力強いものだったはずなのだ。
その道を歩めなくて残念だったよね、丶(・ω・`) ヨシヨシ。
ずっと悔しい思いを抱いてきたちっちゃいちゃんの気持ちを汲み取ってあげることで、怨念は失せます。
いえ、失せません(どっちやねん。
怨念があっても仕方がない、だって辛かったんだもん、と怨念を持つことを許せるようになるのです。すると、怨念はだんだんとその姿を薄くしていきます。
今日はサイコロです。
火沢睽の5爻、悔いはなくなる、深くつながることができる、咎めることは何もない
未来を示す之卦は天沢履の5爻、誰しもが強いわけではない、弱いものの気持ちも顧みてことを進めるべし
解決策を示す互卦は水火既済、手にしていないものより、手にしたものを認めるべき
天沢履にある「弱いものの気持ち」とは何か、それが「怨念」です。怨念はあって当たり前なのです。そして人は人を恨んでいる自分、と自分を責めるのです。
だから。
恨んでしまうよね、丶(・ω・`) ヨシヨシ
なのです。
恨んでしまうくらい辛かったのです。
相談者さんの中にある「恨みちゃん」、それに言葉をかけてあげれるのは相談者さんの「誇りちゃん」です。
おまえ(恨みちゃん)のおかげでオレ(誇りちゃん)は頑張ってこれたんや
おまえのおかげでオレばっかりいい思いさせてもらえたわ
今もいろいろ思い出してしんどいんやなあ
でもな、今のオレがあるんはおまえのおかげや、ありがとうて言わせてくれや
これまでの分も、今からはいい思いしてこやないか
一緒にな
回答は海原純子(心療内科医)さんです。
ものすごくいいことではなくてもいいのです。ちょっとした幸せや日常の中のささやかな喜びに目を向ける習慣をつけることが大切です。
私ほんまに丶(・ω・`) ヨシヨシ以外の術を思いつかんのですよ。
滝詣連続16+713日目(2022/09/01現在)
チキンラーメンのヒヨコちゃんの誕生日でコラボグッズがいろいろリリースされるというのを楽しみにしていたんですが。
が。
これじゃない感がハンパない。欲しいものが皆無。裏切られた感満載で、発散できなかった物欲を持て余しています。
※画像と本文は全く関係ありません