あなたは「介護は義務だ」という間違った思い込みをしていませんか? 

こんにちは
あなたの罪悪感を粉砕する
ヨシヨシする人ヨシヨシスト
いまぷ です。

TODAY'S CONTENTS

1:介護は罰ゲームのような義務ではない
2:なぜ介護は妻や嫁や未婚の娘の義務なのか
3:やらかした芸能人がやたら介護をするよね
4:義務とは罰ゲームではない、介護は罰ゲームではない 

1:介護は罰ゲームのような義務ではない 

義務とは”やらなくてはいけないこと”です。

それがたとえやりたくないことであっても、やる必要があるならばやらなくてはいけません。

やらなかったらきっと、困る人が出てきます。

「イヤでもやらなきゃいけない」となります。

人がやりたくないことをやってくれるのは、ほんとはありがたいことなのに、なぜかそこに罰ゲームテイストが醸し出されていませんか?

たとえば介護。

2:なぜ介護は妻や嫁や未婚の娘の義務なのか

誰の稼ぎで食わせてもらってるんだ!寝たきりの親父の世話ぐらいしろよ

キャー、モラ夫が得意なセリフです。

子どもがいないんだったら時間あるでしょ、ヘルパーなんか頼まなくても

ママスタで頻出の、コウノトリがやってこない嫁をいじめる姑の決め台詞です。 

お姉ちゃんは家に住まわせてもらってるんだから、介護するの仕方なくない?

さっさと嫁にいってしまった妹、なんやかんやと実家にせびりに来るのに、厄介ごとは実家暮らしの姉に押し付けます。

妻や嫁や未婚の娘が介護を押し付けられるのは罰ゲームなのです。

何の罰?

稼ぎがないことへの罰(というのは夫の勝手な考え)
子どもがいないことへの罰(というのは姑の勝手な考え)
結婚していないことへの罰(というのは嫁にいった妹の勝手な考え)

3:やらかした芸能人がやたら介護をするよね

すぐに思い浮かぶのは覚醒剤キメキメノリピーと、多目的トイレでホニャララな人。

どちらも謹慎期間中に介護業界に関わり、更生に努めているというような報道がありました。

この2人だけではなかったからでしょうね、介護業界から強烈抗議が。

介護を罰ゲームにしないでほしい、と。

昭和の時代、学校のトイレ掃除もやらかした生徒への罰としてなされていたことがありましたね。

介護もトイレ掃除も必要なこと、行われなかったら困る人がいっぱいです。

でも、率先してやりたいものではないのでしょう。

必要なのに誰もがやりたがらないことは、いつしか罰ゲームとなってしまったのです。

4:義務とは罰ゲームではない、介護は罰ゲームではない

介護とはもちろん罰ゲーム(義務)ではありません。

稼ぎがないこと、子どもがいないこと、結婚していないこと、等々。

これらを、自分が罰を受けても仕方がないという理由にしてしまって(させられて)いませんか?

自分は罰を受ける必要などない、義務でがんじがらめにさせられることはない、これが大前提です。

すると介護は、あなたを苦しめるものではなく、お世話が必要な相手を慈しむための手段となることでしょう。

最後までお読みくださりありがとうございました✨
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