おかあさんの「せい」にできないのはなぜ?

さ、彦摩呂の口調でみなさんご一緒に。

献血ルームはネタの宝石箱や!!

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20代女性さま(仮称:フルーツさん)、口にされたお題は「自分が嫌いなんです」と。

 

(゚∀゚)キタコレ 

 

よくぞ私のところにそのお題を持ってきてくださいました!!

 

※数週間前には「罪悪感から解放されたい」というお題もあり、その時も (゚∀゚)キタコレ となりました。

 

誰も私の悩みなんてわかってくれない、と沼に沈み込んでいらっしゃる方には申し訳ないですが、問題のパターンってどれもほとんど同じ。例外はたいへん少ないです。人が自分を嫌いになる図式、私も!私も!と感じられることでしょう。

 

ただその詳細を目にする、耳にする機会が少ないだけでね。

 

みーんな同じなんです、自分を嫌いになっちゃう理由・原因は。

 

他者から否定されちゃうから。

 

自分は肯定されるに値しない人間なんだと思っちゃうから。

 

もとい。

 

思わされちゃうから。

 

生まれた時から自分のこと嫌いな人なんていません。大切な自分が自分で思ってるように他者から大切に扱ってもらえないから、大切に扱って貰えないダメな自分、と自己評価を貶めてしまうのです。

 

フルーツさんの育った環境は、万人が納得するところの「自己評価低いマン養成虎の穴」でした。

 

学歴重視のご家族、両親の期待をうらぎらない優秀なお兄さま、そしてフルーツさんに投げかけられるセリフは「お兄ちゃんに比べておまえは」でした。そして「どうしてお前はそうも自己評価が低いのだ」と追い討ちをかけられます。

 

こんな(どんな?)環境で自己尊厳を獲得できるはずがないですやんね!

 

フルーツさんを自分嫌い沼に沈め込んだのはご家族です。フルーツさんにダメなところがあるから自分を認められないわけではありません。

 

フルーツさんが自分嫌いなのはご家族の「せい」です。

 

拙ブログのベテラン読者さまにはわかっていただいているかと思いますが、ここで(どこ?)あえて「せい」とするのはあくまでも自分の罪悪感をとっぱらうためです。

 

問題が起きているのは(フルーツさんの場合は”自分嫌い”という問題)自分の「せい」ではない、あくまで原因を生み出しているのは自分以外なのだ、と納得していただくためです。

 

それは原因となっている他者を貶めることではありません。

 

 ここがなかなかわかっていただけませんでしてね。

 

フルーツさんも同じく、自分嫌いの原因をおかあさまの「せい」にすることはできませんでした。

 

なぜ?

 

だって、おかあさんが責められるから、おとうさんやおにいちゃんから、フルーツがこんななのはおかあさんのせいだ、って責められてるから。

 

おとうさん

おにいさん

おかあさん

フルーツさん

 

こういう階層になってるわけですね。通常といってはなんですが、おかあさんの階層というのはもっと上のはずです。

 

つまりおかあさんは、フルーツさんと同様に虐げられているポジションなわけです。だから余計に、フルーツさんはおかあさんの「せい」に出来なかったのですよ。

 

ああ、その光景が目に浮かぶようですね、フルーツがそんなだからおかあさんがおとうさんやお兄ちゃんから責められるじゃないのよ!と、おかあさんがフルーツさんを責めるのが。

 

フルーツさんの罪悪感がさらに上書きされてしまいますよね。

 

では、どうすればいいか。

 

おかあさんの「せい」と認めないことのメリットと、自分は悪くない、と認めることのメリット、この2つを統合することにしました。ビジュアルスクワッシュです。

おかあさんの「せい」にしないことは、オレンジの「安心」にたどりつきました。自分は悪くない、と認めることは、ピンクの「楽しい」にたどりつきました。 

 

両者を統合すると、キラキラの「嬉しい」になりました。

 

キラキラの「嬉しい」があるとどうなれるか、お友達を食事に誘うことができるようになる、と。

 

なんと!フルーツさん、お友達と食事に行きたくても、私なんかと一緒に食事をさせては申し訳ない、と思っちゃうんですって!!

 

すんごい自己否定。

 

フルーツさんの「私なんて」って考えは、フルーツさんを大事に思っている(はず)のお友達にとってとても寂しいことですよね。フルーツさんがそう思っていたら、お友達のほうもフルーツさんを誘いにくくなりますよね。

 

私なんて、と思っちゃうのはフルーツさんの「せい」ではなく、おかあさんの「せい」、フルーツさんには何の落ち度もありません。

 

そして、おかあさんの「せい」にすることは、なんらおかあさんを貶めることではありません。単なる因果の因をおかあさん所以とする、ただそれだけです。

フルーツさんが自分嫌いから脱却できたなら、それはおかあさまをおとうさまやお兄様から責められることからも救い出すことになります。

 

 罪悪感は誰も救わないのです。逆に、自分が救われれば、そのことによって他者をも救うことができるのです。

 

どうぞ、ご自分を許してください。私は悪くない、と罪悪感の沼から救い出してあげてください。

 

誰を?

 

ずっと自分を責め続けていたちっちゃいちゃんを。

 

自分のせいでおかあさんが責められている、と辛かったよね。

 

丶(・ω・`) ヨシヨシ

 

 

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